直江兼続の戦略を阻んだ関ヶ原の「想定外」との戦い【後編】
武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」 第12回
■想定外への備えの重要性
1620年に兼続は亡くなります。その3年後に、後を追うように景勝も亡くなります。
兼続は、関ヶ原の戦いでは複数の想定外に見舞われました。それは事前の想定が甘かったと思える点が多いものでした。しかし、そこでの経験を活かし、敗戦後は想定できる範囲を広げて手を尽くしています。
現代でも、想定外の事態に巻き込まれる事は多々あります。重要なのは、もちろん事前に想定の範囲を広げておくことですが、想定外の事態が起きた後の処置やその後の対応策も重要です。そして素早く体制を立て直し、その経験を活かして再発を防止する事が肝心です。
米沢藩は15万石への減封もあり財政が大きく悪化します。9代藩主上杉鷹山(うえすぎようざん)は財政の立て直しの中心を農本主義としました。その点から兼続の施策を参考にしたとも言われています。鷹山が養子として上杉家に来た際に、実家の家老から送られた「直江兼続に学べ」という手紙が現存しています。
兼続の著書とも言われる、「地下人上下共身持之書(四季農戒書)」に書かれている知見が活かされたのかもしれません。
これらは兼続が想定外を無くすために取った施策が、100年後に役立ったとも言える逸話です。
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