コンビニの数よりも多い地域の古墳にはどんなものがあるのだろうか?【京都府京丹波町の塩谷古墳群】
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #069
古墳といえば古代中央政権に直接関係する巨大な物を探りたくなる。しかし、渡来文明の通り道や政治上の重要拠点を支配した地方豪族の古墳も興味深い。どのような古墳があるのだろうか?日本海と大和の中央政治との官道・京都府京丹波町塩谷(きょうたんばちょう しおたに)古墳群を見てみよう。

塩谷古墳群(京都府京丹波町)撮影柏木宏之
大陸との日本列島の表玄関、日本海文化
古墳時代に各地と大和の中央政権を結ぶ重要な道はいくつもありました。
日本海側は長い期間、日本列島の表玄関ですから、大和と結ぶ陸路は重要な官道となります。そんな重要路のひとつに、日本海に向かって綾部から舞鶴や天橋立地域につながる道があります。現代では国道173号や京都縦貫自動車道・舞鶴若狭自動車道でつながっています。日本海の古代国際港と大和中央政権を結ぶ南北の道の中間点あたりに、京都府船井郡京丹波(ふないぐんきょうたんば)町があります。この辺りは全くの内陸部で山の中ですが、史跡や古い神社などが数多く存在します。
京都縦貫自動車道を日本海側に向けて走ると、丹波インターチェンジのちょっと先にSAがあります。
そこは「道の駅京丹波味夢の里(きょうたんばあじむのさと)」というドッグランもある憩いの場で、一般道からもアクセスできます。
ここに隣接している古墳群を紹介します。

京都府船井郡京丹波町の現地説明版 撮影柏木宏之
「塩谷(しおたに)古墳群」といって、1989年(平成元年)に調査発見された全部で12基の古墳群です。日本海や丹後王国と大和を結ぶ重要な拠点を支配していた豪族の古墳群だと思われます。一応は円墳とされていますが、私が見たところ二段墳丘でもなく、のっぺりとした大型土饅頭のような印象です。ただこの古墳の特徴で、それぞれすべてに周濠の痕跡があるそうです。
最初に築造されたと考えられる5号墳からは、巫女の埴輪が二体出土しています。高槻市の今城塚古墳から出てきた巫女埴輪と同等ですので、これはどうやら大和王権の影響かとも思われますが、窯業跡(ようぎょうあと)という埴輪を焼いた遺跡が近辺から発見されていません。もしかすると大和王権から贈られた「巫女埴輪」なのかもしれませんね。

最初に築造され巫女埴輪が出土した5号墳 撮影柏木宏之
古墳群発見のきっかけは公共工事の土取場に指定されたので、遺跡のような地形の事前調査をしたところ12基もの円墳が確認されたのでした。1号墳は調査されましたが残念ながら現在は消失して一般道駐車場付近に標識が建っているのみです。
面白いのはすべての墳丘が同一の思想と規模で築造されているのですが、ひょっとすると2号3号4号5号7号8号11号古墳と、未調査の6号9号10号12号古墳は支配者の入れ替わりがあったかもしれないという小さな疑いもあるそうです。
このような地方域の考古学的発見は、開発計画が無いとまずありません。宅地開発や公共工事などが計画されないと、発見はまず無いといってよいでしょう。
かつて「神話はあっても遺跡が無い」といわれた出雲地域も、開発計画の事前調査で驚くような発見が相次ぎました。だからといって開発されるのが遺跡にとって良いことばかりではありません。破壊もされますし消失も大いにあり得ます。

京都府船井郡京丹波町塩谷古墳群・配置MAP撮影柏木宏之
最近、全国さまざまな場所で古墳や遺跡が発見されています。
古墳の数はコンビニエンスストアの総数よりも多いのですから、おそらくあなたの町にも古代の墳墓が隠れているかもしれませんし、土中に埋蔵された遺跡は当たり前のようにあるでしょう。私たちが暮らしている地面は、古代から私たちの祖先も住んで暮らした地面です。ただ、徐々に埋まっていくので保存もされるかわりに存在がわからないだけなのです。

今城塚古墳ハニワガールズ 撮影柏木宏之