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「承久の乱」の終幕と後鳥羽上皇らの処遇

「承久の乱」と鎌倉幕府の「その後」⑯

わずか33日間で戦は終結し、戦勝報告が名簿に記される

幕府側の恩賞評価者・後藤基綱 
承久の乱では軍奉行を務めたと見られ、後鳥羽上皇方に付いた父・基清を幕府の命令により斬首した。嘉禄元年(1225)に設置された評定衆の一員となり、恩沢奉行や地奉行となっている。基綱が記した記録は、かなりの量が『吾妻鏡』に利用される。

 佐々木信綱(ささきのぶつな)と芝田兼義(しばたかねよし)による宇治川の先陣を巡る論戦が後に戦わされるが、勲功のあった者や死傷者などの実態が6月18日までに文書としてまとめられ、使者・中太弥三郎によって鎌倉に運ばれた。

 

 調査にあたったのは、後藤左衛門尉基綱(ごとうさえもんのじょうもとつな)、関判官代実忠(せきほうがんだいさねただ)、金持兵衛尉(かなもちひょうえのじょう)らである。名簿に記されたのは、勲功者255人、負傷者132人、溺死者96人で、勲功者の名前の後には、討ち取った首級の数も記載されていた。1〜2名を仕留めたという者に対して、山城左衛門尉(やましろさえもんのじょう)が16人、島津三郎兵衛尉忠時(しまづさぶろべえのじょうただとき)が7人という数値が際立っていた。

 

 6月16日には、泰時が、合戦が無事に終わったとの戦勝報告を伝えるための飛脚を関東に遣わしている。鎌倉に到着したのが、6月23日の丑(うし)の刻(午前2時頃)のことであった。合戦の経緯を詳細に認めたもので、これを見た北条義時が喜びを爆発させたことはいうまでもない。

 

 泰時を京に向けて進軍させたのが5月22日、それから1カ月というもの、義時は不安に駆られ続けていた。義時の館の釜殿に雷が落ちて(6月8日)人夫1人が死亡するということがあったが、これを凶事ではないかと不安に恐れおののいたようである。この時は、大江広元が先例を挙げて恐れる必要はないと義時を励まし、陰陽師たちも「最吉」と告げたことで、落ち着きを取り戻したという。戦勝報告を受けた時の安堵と喜びは、この上ないものだったに違いない。

 

義時から張本人の処刑と朝廷の人事での処罰が届く

 

 この戦勝報告に基づいて、北条義時や大江広元が中心となって、公卿や殿上人の処罰及び朝廷の人事にまつわる処遇を取りまとめ、使者・安東光成(あんどうみつなり)を京に遣わして届けた。後鳥羽上皇は隠岐国に流罪。後鳥羽上皇の兄・守貞親王(もりさだしんのう)を上皇に立てて「治天の君」とするとともに、仲恭(ちゅうきょう)天皇を廃し、茂仁(とよひと)親王を天皇(後堀河天皇)とするよう認められていた。

 

 また、雅成(まさなり)・頼仁(よりひと)親王も配流と決めたものの、流罪先は泰時に託している。さらに、公卿・殿上人は坂東に下し、それ以下の身分の者は、情けをかけることなく、全て首を斬れという厳しいものであった。以上の決定は6月29日には京の六波羅(ろくはら)にもたらされ、速やかに執行されている。

 

 その戦勝報告が認められた6月18日、この日の逸話としてよく知られるのが、藤原範茂(ふじわらのりしげ)の死の情景だろう。

 

 乱の首謀者の一人として捕らえられた藤原範茂を鎌倉へ護送するという役割を担ったのが、北条義時の子・朝時であった。足柄山に差し掛かった際、範茂が「斬首されて五体満足でないと極楽往生できない」として入水を希望。朝時がその願いに応えて、麓を流れる清川に入水させたのである。範茂の着物の袂や懐に石を詰め込んで川に沈んだという(7月18日)。この時に範茂が詠んだという「思いきや 苔の下水せきとめて 月ならむ身の やどるべきとは」との辞世の句が哀れである。

 

 なお、前述の公卿や殿上人の処罰者の多くは、在京御家人に預けられた後、鎌倉への移送中に処刑されている。官軍に加勢した御家人の後藤基清、五条有範(ごじょうありのり)、佐々木広綱、大江能範(おおえよしのり)なども斬首された。

 

 7月5日には後鳥羽上皇の近臣として仕えていた一条信能(いちじょうのぶよし)が遠山景朝(とおやまかげとも)に伴われて鎌倉に護送される途上、美濃国遠山庄において首をはねられた。信能は、兄弟の尊長(そんちょう)とともに芋洗(いもあらい)の守備について幕府方を防いだ人物であった。

 

 ただし、大江親広(ちかひろ)は広元の嫡子ということから、坊門忠信(ぼうもんただのぶ)も源実朝の義兄というところことから、ともに赦免されている。坊門忠信が助命されることを喜んだ葉室光親(はむろ/藤原/みつちか)は、後に甲斐で出家。その直後、加古坂(籠坂峠)において処刑された。

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