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日本で最初の博物館はどこか?いつから日本に博物館はできたのか?

幕末~明治の偉人が生んだ制度・組織のはじまり⑯


我々に新しい“気づき”と“学び”を与えてくれる博物館。西洋には昔からあったものの、日本にはいつから建ちはじめ、どういったプロセスを経て日本へ上陸したのか。その歴史を紹介する。


 

■日本で最初の博物館はどこか

 

正倉院
聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物。

 

 東大寺の正倉院は質的にも量的にも要件を満たしていたが、所蔵が役目で一般公開はされていなかった。

 

 一般公開といえば、江戸時代の物産会が思い浮かぶ。平賀源内(ひらがげんない)が本草学者の田村藍水(たむららんすい)らとともに江戸の本郷・湯島で実施した宝暦7年(1757年)の物産会は大盛況だった。しかし、これは期間限定の見本市であって、並べられたのも芸術的価値のある絵画や仏像ではなかった。

 

平賀源内
江戸時代、もっとも有名な発明家のひとり。博物学者・作家・画家・陶芸家としても名を馳せ、あらゆるジャンルで才能を発揮した日本のダ・ビンチ!(国立国会図書館蔵)

 

 結論から言えば、現在の博物館に相当する施設は江戸時代の日本には存在しなかったが、長崎を経てもたらされたオランダ語の文献には、ロンドン大英博物館やベルリン博物館、パリ自然史博物館などの紹介記事が掲載されていたから、いまだ「博物館」という訳語は生まれずとも、蕃書調所の学者たちは、ヨーロッパにそのような施設があることを知ってはいた。

 

 実際に博物館を見学したのは、万延元年(1860)に日米修好通商条約批准使節として訪米した勝海舟(かつかいしゅう)ら一行が最初で、彼らの報告書を見ると、「百物館」「博物所」など、様々な名称で博物館を紹介しようとしている。

 

勝海舟
日本人として初めて博物館を見たのは勝一行だったのかもしれない。(国立国会図書館蔵)

 

 それから2年後、ロシアとヨーロッパに派遣された使節団も同じような体験と行動をとり、福沢諭吉(ふくざわゆきち)が慶応2年(1866)に著した『西洋事情』の中で初めて「博物館」という言葉を使用した。

 

 歴史ある文化財はただ保存するのではなく、説明書きを加えて一般公開する。発想自体は見世物に近いが、見せるのは蛇女やろくろ首のような張りぼてではなく、日本人が共有すべき文化遺産である。熟練の職人たちが丹精込めて制作した逸品で、小さいながら手の込んだ工芸品もあれば渋い山水画、荘厳な仏像もある。

 

 従来の藩や旧国制の枠を超えた日本人というアイデンティティーを育むためには、ハードとソフトあらゆる手段を講じる必要があり、日本人が共有する伝統文化をしっかりとその目で確認させることも非常に大事だった。

 

 欧米への視察を使節団がよくおのれの使命を果たし、報告と具申を受けた明治政府がその意味を理解し、素早く実行に移したのは実にありがたく、かつ賢明な判断だった。財政ひっ迫の折、文化事業に投じるべき予算を他へまわすこともありえたのだから。

 

 かくして明治3年(1870)の物産局仮設所に続いて、翌年には文部省博物局が設けられ、明治5年には東京の湯島聖堂で博覧会が開催された。展示即売会ではなく、現在の特別展に当たるイベントの第一号だ。

 

 50余比呂に及ぶこのイベントが成功したことから、湯島聖堂ではその後も毎月一と六の日のつく日に限り、博覧会が開催された。

 

 一連の結果を受け、内務省の管轄下に常設の博物館が設置されたのは明治8年のことで、現在、東京上野にある東京国立博物館がその後裔である。

 

東京国立博物館
2022年に150周年を迎える日本最高峰の博物館のひとつ。

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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