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病気対策だけでなくお土産品としても人気だった「売薬」

江戸時代における病の直し方【第5回】


江戸時代、宿場町では多くの薬が売られていた。旅人本人が服用することもあったが、軽くてかさばらない薬は、お土産品として人気が高かった。


 

お城のような建物がういろうという薬を売る店。薬は「透頂香」というが、帰化人の外郎家が売っていたことから「ういろう」と呼ばれるようになった。また、人をもてなすために菓子も考案し、こちらは「菓子のういろう」として広まったという。
「東海道名所風景 東海道 小田原」(国立国会図書館蔵)

 江戸時代、人気のあった土産物はなんだったかご存じだろうか。江戸時代に現在の宅配便に近いサービスがあるにはあったが、あまり一般的ではなかった。したがって軽くてあまりかさばらない物に人気が集中する。旅に出るには、今のように観光ではなく、五穀豊穣や病気平癒などの祈禱のためなどの理由が必要だった。そのため、お参りした全国の有名な寺社のお札やお守りなどが、お土産として多かった。さらには訪れた場所の景色を描いた錦絵、意外なところでは縫い針が人気だった。

 

 ところで、旅行に出る時に、服用する薬を携帯する人も多いことだろう。医者に処方してもらった薬は旅先では入手困難だが、それ以外にも、胃薬や風邪薬も一緒にという人もいるのではないだろうか。現在、処方箋なしで買うことができる薬は、人気の薬ならば日本全国どこでも購入可能だが、江戸時代はそうではなかった。店によって売っている薬が違ったのだ。その家に伝わる秘薬を販売していた。今のような薬事法がなかったから、こうしたことが可能だったのである。

 

 例えば、新選組の副長として有名な土方歳三(ひじかたとしぞう)の家では、代々伝わる打ち身などに効く「石田散薬」(いしださんやく)を製造販売していたし、『南総里見八犬伝』などの作者・曲亭馬琴(きょくていばきん)も家に伝わる複数の薬を販売し、自らの著書の中で宣伝もしていた。こうした薬は、製造所だけでなく、取り扱い店でも買うことはできたものの、やはり、その地方に行かないとなかなか手に入りにくかった。また、基本的に薬は1度に大量に飲むのではない。そこで、こうした薬が土産物として人気となったのである。江戸時代の売薬の中で、最も有名だったのが、近江の土山宿や江戸郊外の大森で販売されていた和中散である。暑気あたりや風邪などの時に飲んだそうで、土産だけでなく、旅人自身が万が一のために服用するために持ち歩いたという。胃腸の不調に効くという伊勢の萬金丹(まんきんたん)は、伊勢参りの土産の定番であった。

 

 江戸時代、和中散(わちゅうさん)や萬金丹と同様の人気を誇った薬があった。富山の反魂丹(はんごんたん)である。陸奥国三春藩主・秋田輝季(あきたてるすえ)が江戸城内で苦しんでいる時に、富山藩主・前田正甫(まえだまさとし)が所持していた薬を差し出した。この薬を秋田輝季が服用したところ、たちどころに治まった。これを見た大名たちがこの薬を自分の領地で販売することを望んだといい、これを受けて富山の薬売りたちが、全国各地に行商へ出かけて行った。ちなみに江戸時代の薩摩は、他藩から人が入ることを制限していたが、富山の薬売りは例外であったという。この後、薬を置いて置き、必要な時に使用した分だけ後に精算する「富山の置き薬」や「配置薬」と呼ばれるようなシステムが生まれたのである。

 

 ちなみに当時の薬の値段は安いもので、24文(720円)くらいから、反魂丹は幕末で70文(2100円)、中には100文(3000円)以上する高価なものもあった。しかし、当時医者にかかるのには現在の金額で何万もかかる。それに比べれば薬は庶民でもなんとか恩恵にあずかれるものであったのである。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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