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日本の小型潜水艇「海龍」~深海の小さな殺し屋~

主力艦隊の補助から特攻までを担った「日本海軍の名脇役たち」 第3回


魚雷攻撃を行う小型潜航艇として開発されながら、戦局の悪化により水中特攻兵器とされた小型潜水艇「海龍(かいりゅう)」。その知られざる開発秘話に迫る。


浮上航行中の「海龍」。油壷で撮影されたと伝えられる。敵味方識別のための日章旗が司令塔の側面に描かれているが、結局「海龍」が実戦に出撃する機会はなかった。

 従来の甲標的とは異なり、より操作性を向上させた新しい小型潜水艇として、「SS金物」という秘匿名称で開発が開始された。

 

 隠密行動能力が高い潜水艦はきわめて有効な海洋兵器だが、その建造には時間とコストと資材が必要となる。だが「小型の潜水艦」すなわち小型潜航艇なら、潜水艦と同等の隠密行動能力を備えつつ、潜水艦よりもずっと短い時間と安いコスト、それに少ない資源で建造が可能だ。このような「表面上の理由」から、日本ばかりかドイツの例を見ても、劣勢となった国では、小型潜航艇を量産するのが常である。

 

 しかし小型潜航艇は、既述の「表面上の理由」の裏に大きな問題を抱えていた。当時の技術では、「潜水艦の小型化」にともなう劣悪な操艦性、短い航続距離、非力な攻撃力などの問題を解決できなかったのだ。そのため、小型潜航艇そのものは完成したが、運用が難しいという事態に至るケースがほとんどだった。

 

SS金物」は、小型潜航艇とはいえ、その操艦に航空機の概念を採り入れた水中翼を用いるものだった。魚雷は、艇外の左右の側面にそれぞれ1本ずつ、計2本をキャニスターに収めて搭載。発射時には、まずロケット・モーターが点火され、キャニスターの先端の蓋を吹き飛ばして魚雷が撃ち出される。一方、その反動でキャニスターは後方にずれて投棄される仕組みだった。

 

 しかしこの発射方式だと、魚雷射出時の急激なトリムの変化やキャニスターの投棄によるバランスの変化への対応が難しく、最終的には、艇首に爆薬を600kg充填した体当たり兵器として運用されることになった。乗員は艇長と艇付の2名で、艇内はきわめて狭隘なので2名が順序よく乗艇しないと、艇内での位置の交代は困難だった。

 

 やがて「海龍」と命名され、終戦までに約220隻が完成し、約200隻が建造中だったという。しかし「海龍」は、実戦には一度も参加せずに終戦を迎えた。

 

とはいえ、当初予定されていた魚雷攻撃を行う小型潜航艇ではなく、結局は魚雷という攻撃兵器を運用するためのギミックを排除して、開発と生産を簡素化した水中特攻兵器とされてしまったので、実戦に使われなかったのは幸運だったかも知れない。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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