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ドイツとの連絡を託され、幾多の困難を克服した深海の使者「遣独潜水艦」【前編】

海底からの刺客・帝国海軍潜水艦かく戦えり


1940年9月、日本はドイツ、イタリアと「日独伊三国同盟」を締結した。その翌年12月8日、日本は米英に宣戦布告し、文字通りの第2次世界大戦が始まる。日本も戦時体制となったことで、1942年1月18日に「日独伊軍事協定」が結ばれた。


 

ペナンの基地に停泊中の日本軍潜水艦。ペナン島はマレー半島の西方、マラッカ海峡に浮かぶ島だ。ここは終戦まで日本海軍の要衝とされ、インド洋からアフリカ、オーストラリア方面への作戦に欠かせない基地だった。

 軍事協定の骨子(こっし)は「日本は東経70度以東の地域、ドイツとイタリアは東経70度以西の地域の連合軍側軍事根拠地、艦船、航空機を撃滅することと、三国間の情報交換、アジアとヨーロッパの海上と航空連絡に関する事項」である。要するに三国は海上で合同作戦を行うことができないので、作戦海域を決め各国の海軍力に応じて独自の作戦を行い、他国はそれに協力できるときは協力する、というだけのことだ。

 

 連合国側の首脳たちが度々、軍事会談を行い、戦略を協議していたのに対し、遠く離れて戦っていた日独伊は、それぞれの戦場で勝利を目指すしかなかった。それでもアジアとヨーロッパを結ぶ連絡については、独ソ戦が始まる前までは、シベリア鉄道経由で行われていた。日本と英米が開戦すると、海上・航空のいずれも困難となってしまったのだ。

 

 ドイツは不足している生ゴム、錫(スズ)、タングステン、キニーネといった戦略物資を入手するために、海上封鎖を突破する輸送船をインド洋に差し向けた。だがアフリカ沿岸に拠点を有していたイギリス海軍や南アフリカ連邦軍に妨げられ、撃沈や拿捕(だほ)が続いた。

 

 そこでドイツ側から、潜水艦による物資輸送が提案されたのだ。ドイツとしては資源だけでなく日本が開発した酸素魚雷や無気泡発射管、水上飛行艇といった軍事技術の情報を欲した。日本もドイツが開発した最新型電波探知機(レーダー)や暗号機、ジェットエンジン、ロケットエンジンなどを求めた。

 

 そこで日本側からは、伊号潜水艦による遣独(けんどく)潜水艦作戦が行われることとなった。第1回目の遣独潜水艦に選ばれたのは、1942年2月28日に就役したばかりの、伊号第30潜水艦(艦長・遠藤忍[えんどうしのぶ]中佐/以下・伊30)であった。

幾多の困難を乗り越え、ドイツ占領下のフランス・ロリアン港にたどり着いた伊30潜水艦を指揮していた遠藤忍中佐。帰路もシンガポールまで無事に航海するも、いくつもの不測事態が重なり、味方機雷に触雷してしまう。

 伊30は短期間の就役訓練の後、密かにドイツに向かうための準備が進められた。4月11日に呉を出港。20日にペナンに到着。それからしばらくは、インド洋で敵基地偵察や通商破壊戦に従事する。そして6月17日、マダガスカル島南端のサントマリー岬南東400kmの集合地点で特設巡洋艦・報国丸(ほうこくまる)と愛国丸(あいこくまる)と合流し、燃料補給を受ける。

 

 さらにドイツへ渡す零式水上偵察機、九一式航空魚雷の設計図、八九式魚雷と零式水上偵察機の現物、それにシェラック660kg、雲母840kgという戦略物資が積まれた。18日には僚艦に見送られながら、ドイツへと向かう。

 

 目的地とされた、ビスケー湾に臨む旧フランス海軍の軍港ロリアンまでは、二つの大きな難関が待ち受けていた。一つ目は「ローリング・フォーティーズ」と呼ばれた暴風圏である。これは南緯40度を中心に東西約1600km、南北約320kmにわたる広大な海域で、ここではつねに風速40mに達する西寄りの強風が吹き、荒波が渦巻いているのだ。

 

 アフリカ最南端の喜望峰付近から飛来する連合軍機の哨戒(しょうかい)圏を避けるためには、どうしてもこの海域を通過せざるを得ない。伊30は排気口から海水が流入しエンジンが故障するも大事には至らず、浮上潜航を巧みに使い分け6月30日に難関を突破。さらに南アフリカ空軍機に発見されたが、離脱に成功する。8月2日には大西洋の中央付近に浮かぶアゾレス諸島近海で、突如現れた敵機からの攻撃を受けるも、甲板の板が剥がれる被害で済んだ。

 

 そしてもうひとつの難関、連合軍の警戒が厳重なビスケー湾に至った。ここでは、レーダーを装備している敵機を警戒し、極力潜航して突破する必要がある。敵潜水艦への警戒も怠れないので、緊張の連続であった。

 

 そして8月6日、無事にロリアンに入港することができた伊30は、日本からの積荷をドイツ側に引き渡す。代わりにウルツブルクレーダーなどの電子兵器、エニグマ暗号機、魚雷発射誘導装置、魚雷用爆薬などを受け取っている。そして96式連装対空機銃を取り外し、代わりに電波探知機「メトックス」、エリコン20mm4連装機銃が装備された。

 

 帰路は8月22日にロリアンを出港。翌日にドイツ掃海艇と別れ9月20日喜望峰通過、10月8日にペナン着、1013日には軍令部が関知していなかった兵備局の依頼で、急遽シンガポールに寄港することとなる。そこでエニグマを陸揚げし同日、日本に向け出港した。

 

 ところが暗号電報の行き違いにより、伊30は味方の機雷に触れ沈没してしまう。死者は14名であったが、苦労して持ち帰った機密兵器類は、設計図とともに海中に没してしまう。

ロリアン軍港に建設されていたUボート用のブンカー。これは航空機からの攻撃を防ぐための堅牢な防空施設である。伊30は1942年8月6日、ここに入港する。そしてドイツ潜水艦隊司令官デーニッツらの歓迎を受けた。

 

 

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野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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