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アメリカ海軍の正規空母・ワスプを仕留めた日本海軍「伊19潜水艦」【前編】

海底からの刺客・帝国海軍潜水艦かく戦えり


第2次世界大戦中、太平洋には日米両軍の潜水艦が展開し、さまざまな任務に付いた。日本の潜水艦部隊は輸送など、本来とは違う目的に運用されたりもしたが、戦史に残る大戦果を挙げたことも少なくない。今回は空母ワスプを沈めた、伊19の活躍を前後編で送る。


 

伊19潜水艦は、伊15型潜水艦の3番艦として1939年9月16日に進水。1941年4月28日に竣工した。最初の艦長は艤装員長を務めた楢原省吾中佐。1942年7月15日から1943年9月26日まで木梨鷹一少佐が艦長の任に就いていた。

「海流は諸行無常である」

 

 これは太平洋戦争が開戦する前に行われた潜水艦部隊の演習において、参加潜水艦が潮流の影響を受け、本来展開せねばならない位置から著しくかたよってしまい、研究会上層部が問題とした際、木梨鷹一(きなしたかかず)少佐が発した言葉である。彼はまるで禅僧のように物事に動じず、つねに冷静沈着な人物であったようだ。

 

 そんな木梨少佐が、興奮のために魚雷発射を命ずる声が震えたことがあった。彼が指揮する伊19潜水艦が、たった1隻でアメリカ海軍の正規空母を沈めた、その攻撃時のことである。

 

 1942年夏、ソロモン海域では文字通り連日連夜、ガダルカナル島(以下ガ島)を巡る日米の激戦が繰り広げられていた。戦いは陸海空はもちろん、海の底でも演じられている。

 

 当時、日本の第一線級の新鋭潜水艦は、第6艦隊に所属していた。そしてその全力といってもいい兵力が、ソロモン海域の戦場に投入されていたのだ。アメリカ海軍によるガ島への補給路を遮断するため、潜水艦部隊はガ島周辺海域、およびサンクリストバル島(現マキラ島)の北東から南西にかけての、半円形に設定された散開線(線上におおむね等間隔で配備すること)にあった。

 

 8月31日には伊26潜水艦(艦長・横田稔[よこたみのる]少佐)が、ガ島東方の散開線で、空母サラトガを中心とした米艦隊を捕捉する。彼我の距離が遠く、しかも追い撃ちになる不利な条件であったが、横田艦長は6本の魚雷を発射。サラトガ右舷に1本を命中させた。サラトガは電気推進システムが損傷したことで、修理のために3カ月にわたり戦列から離脱する。

 

 当時、太平洋で稼働できるアメリカ海軍の空母は4隻だけであった。うち8月24日に起こった第二次ソロモン海戦で、エンタープライズが被弾し戦列を離脱していた。これに次いでサラトガが離脱したため、稼働空母はワスプと新たに太平洋に回航されたホーネットの2隻のみとなってしまったのだ。

 

 危機的な状況となった米空母部隊ではあったが、9月13日に索敵機からソロモン北方海域に空母を含む日本の有力な艦隊を発見したという報を受けた。そのため翌14日、エスピリッツサント島を出港したガ島への増援部隊を乗せた輸送船護衛のために出撃。

 

 一方、散開線上で敵艦艇攻撃に備えていた日本の潜水艦隊は、米軍の厳重な警戒を避けるように昼間は潜航、夜間になると浮上して充電をしつつ、哨戒(しょうかい)任務に従事していた。この時点で米軍の対潜哨戒機や対潜艦艇には、まだレーダーが装備されていなかったため、夜間は日本軍の見張り能力のほうが遥かに優れていたのである。

 

 9月15日9時50分、サンクリストバル島の東南海域を潜航哨戒中だった木梨少佐指揮の伊19潜水艦は、聴音機で40度の方向に集団音を捉えた。だが敵情が不明であったので、そのままの進路をとり様子を見た。1時間後の1050分、潜望鏡の視野に敵艦隊の姿を捉えることができた。空母を含む機動部隊だ。

 

 しかし彼我の距離は1万5000m、しかも敵は遠ざかる針路だったことから、攻撃には適さないと判断された。伊19が追尾を開始した15分後、敵は270度方向に変針。だがこの位置関係でも、まだ高速で移動する空母を狙い撃ちにすることは不可能に近い。

 

 艦内には、敵空母を発見した高揚感とともに、なかなか攻撃に踏み切れない焦りの空気が張り詰めていた。だが冷静沈着な木梨艦長は、雷撃が可能になる位置関係を取るべく、できるだけ敵に近づけるような的確な針路を外さないように努めていた。この後、そんな武人に戦いの神が僥倖(ぎょうこう)をもたらしてくれる。

木梨鷹一は海軍兵学校51期で航海学生、海軍潜水学校甲種学生であった時期を除き、陸上勤務の経験がない生粋の艦艇乗りであった。潜水艦長は水雷術を学んだ者がほとんどだが、木梨は航海術を専攻した珍しい潜水艦乗り。

 

──後編は719日(火)に配信予定。

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野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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