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原爆を運んだ重巡インディアナポリスを撃沈した「伊号第58潜水艦」の顛末を再現【前編】

海底からの刺客・帝国海軍潜水艦かく戦えり


太平洋戦争の末期、ほとんどの戦艦や空母を失った日本海軍に残された反撃の手段は、潜水艦による攻撃くらいであった。そんな状況下において「伊号第58潜水艦」は、原子爆弾をテニアン基地に運んだ、重巡洋艦インディアナポリスを撃沈したのだ。


伊58は艦橋に描かれた日の丸の上に、黒地に白の菊水を染め抜いた紋所を掲げていた。大戦末期の出撃では、呉軍港に停泊している艦艇はほとんどなく、陸地の建造物も空襲により、まるで廃墟のような姿となっていた。

「通常魚雷で沈められるならば、通常魚雷で攻撃する!」

 

 昭和20年(1945)7月292335分。パラオ島北方250海里付近で哨戒任務に就いていた「伊号第58潜水艦」(以下・伊58)の艦内では、艦長の橋本以行(はしもともちつら)少佐に対し、回天(かいてん/日本軍初の特攻兵器であり、人間魚雷である)搭乗員が出撃の催促を繰り返していた。それに対して橋本艦長は、こう言い放ったのだ。

 

 この日は空に雲が多く、天気はあまり良くなかったが、波は比較的穏やかであった。敵艦船の航路となっているフィリピンのレイテ島—グアム島—パラオ諸島—沖縄の交叉(こうさ)海面に向かっている途中、橋本艦長は機関長の桑畑大尉から「浮上して機械の整備を行いたい」と頼まれた。それに対し橋本は「月が出て視界が良くなっていれば浮上する」と返事していた。この日の月の出は22時であった。

 

 そこで橋本は周囲が少し明るくなる2230分まで仮眠をとった。目覚めるとすぐ、顔を洗い司令塔に登った。そこで時計に目をやると、23時を示していた。月が昇ってから1時間が経過している。橋本は「深度19」を命じ、すぐさま夜間潜望鏡を上昇させた。最初は水面すれすれで、周囲を素早く観察。敵の姿は認められなかったので、潜望鏡を次第に高く上げつつ、周囲を何度も観察する。それでも何も見えないので、橋本は浮上を決断。

 

 すぐさま「十三号電探用意!」を下令。これは航空機探索用電波探信儀の正式名称「一号三型電波探信儀」を略したものだ。続いて水上用電探である「二十二号電探用意!」も発令。こちらは「二号二型電波探信儀」のことである。これらの電探を海面上に出しても、何の反応も認められなかった。そこで橋本は「総員配置につけ!」を号令し、みなが持ち場についたのを確認した後、もう一度潜望鏡で海上を確認後、「浮き上がれ」「メインタンクブロー」を発した。

 

 艦は急速に浮上し、上甲板が海面上に出たと見るやいなや「司令塔ハッチ開け」を命じると、待機していた信号員長が素早くハッチを開け、艦橋に飛び出た。続いて航海長が上がる。その間、艦長は潜望鏡を高く上げて周囲を念入りに確認した。

 

 艦内に新鮮な空気が入ってきたので、高圧空気を節約するため低圧の空気ポンプによる排水に切り替え、にわかに艦内が騒がしくなったその刹那「艦影らしきもの左90度!」と、航海長が叫んだ。その瞬間、艦長は潜望鏡を下ろすと艦橋に駆け上がった。そして航海長が指差す方向に双眼鏡を向けた。

 

 まさしく水平線上には、月光に照らされた黒い点が浮かび上がっていた。それを目にした艦長は、間髪入れずに「急速潜航!」を命じた。おかげで伊58が海面に姿を現していたのは、1分ほどであっただろうか。そして潜望鏡深度を保ちながら接近して行く。もしも敵艦が駆逐艦であった場合、こちらが爆雷攻撃を受ける覚悟が必要だ。艦種がわからなければ、敵艦との距離も不明である。

 

 そこで橋本艦長は、通常の魚雷戦を命ずるとともに、艦首に搭載されていて、敵艦の方向を向いていた回天6号艇の白木一飛曹に乗艇を命じ、予備として5号艇の中井一飛曹には乗艇待機させたのである。

 

 伊58は敵との距離を詰めていったが、敵も次第にこちらへ近づいて来る。やがて三角形に見えていた影の頂上がふたつに割れた。敵は伊58の真上に来ることなく、転針したのである。その結果、艦橋の高さが戦艦・重巡クラスの30mと割り出せた。そして聴音から敵の速度も判明する。そこで魚雷発射時の距離を2000m、方位角は右45度に設定。ここまでわかれば、回天を使う必要はない。

 

 橋本艦長の確固たる自信が、冒頭の言葉となって出たのだ。この時、艦長の橋本をはじめ伊58の乗組員たちは、この敵巡洋艦が広島と長崎を壊滅させた原子爆弾をテニアン島に輸送し、レイテ島に移動中だった「インディアナポリス」だったということを、誰一人知らなかったのである。

橋本以行は明治42年(1909)に京都で生まれる。海軍兵学校59期卒で最終階級は海軍中佐。自らが撃沈した重巡インディアナポリスが、原爆をテニアン島に運んだ艦であったことは、戦後になるまで知らなかった。

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過去記事

野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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