世界へ名を轟かせた戦国大名 大友宗麟の威信を語る大庭園【ニッポンの歴史舞台を旅する[大分県大分市編]】
世界に名を馳せた大友宗麟がこだわり抜いて築いた館
■「力強さ」と「穏やかさ」の2 つの景色を楽しむことができる癒やしの地

大友氏館跡庭園
館跡からは茶道具や陶磁器など風流を楽しんだであろう文化人的な遺物が見つかっている。
戦国大名や豪族らが入り乱れ、覇を争った九州の戦国時代においてその覇者となり、キリシタン大名として欧州にもその名を轟(とどろ)かせた大友宗麟(おおともそうりん)。その宗麟が威信をかけてつくった巨大な庭園の跡が大分市・大分駅の近くで見つかった。現在、宗麟生誕500年を迎える2030年に向け大友氏館跡を含めた歴史公園の整備・発掘が進んでいる。
大友氏がこの地に屋敷を築き始めたのは大友宗麟の代のはるか前。14世紀後半の大友氏第10代当主・大友親世(ちかよ)の頃とされる。
以降、増改築を繰り返し、九州において大きな影響力をもつこととなった21代・宗麟の時代には、大大名としての叡智(えいち)と財力、知見を活かした大きな池をもつ庭園が造園されたと考えられている。その壮大さは覇王・織田信長が威勢を誇った戦国時代において、戦国大名館に存在した庭園として最大級のものであったことがわかっている。

大友館復元イメージ CG
一辺200mの四辺形の敷地があったとされる大友館。
大友宗麟は戦国武将として名を馳せたが、文化人としても高い評価を得た人物でもあった。宗麟は当代随一の茶人・千利休(せんのりきゅう)から「なかなかの数寄者(風流人)」と評され、芸能・文化的に優れた才能を発揮していたことがうかがえる。

大友宗麟
九州北部の6ヵ国の守護となり、権勢を誇った戦国大名。
そんな宗麟がこだわり抜き、つくったと見られる巨大庭園の特徴は大きな池に加え、景石の配置により魅せる「力強さ」と「穏やかさ」の共存である。ふたつの魅力を併せもつことでふたつの違った表情を見ることができ、その美しさを味わうための建物が数棟立っていたこともわかっている。
戦国期、大友宗麟が訪れる客をもてなした大規模な庭園の薫りを実際に訪ねて、一度目にしてみてはどうだろうか?

アクセス
【information】
〈南 蛮 BVNGO 交流館〉
大分市顕徳町3丁目2 番45 号/ ☎︎ 097-578-9191 / 開館:午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)/休館:月曜日(祝日などによる変動あり。詳しくはホームページで)/入館料:無料/駐車場: 50台(団体来場は事前連絡)
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