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豊臣政権屈指の吏僚として、石田三成の盟友として西軍に殉じた長束正家(西軍)

「関ヶ原の戦い」参戦武将たちの本音! 第13回 


様々な武将が参戦した関ヶ原合戦──。今では取り上げられることが稀なマイナーな武将たちも参戦していた。それらの中から東西両軍武将たちをフォーカスし、なぜ東軍(西軍)に加わったのか、合戦での役割はどんなものであったのか、さらには戦後の動向など、その武将たちの動きと心の裡(うら)を読み解く。ここでは、両陣営に振り回されながら、西軍に殉じた長束正家に迫る。


 

長束正家 なつか・まさいえ
所領/近江水口5万石、
動員兵力/1,500人(推定)
布陣場所/南宮山
合戦での動向/吉川広家ら毛利勢の静観により不戦に終わる
戦後の処遇/改易

 何故だ。なぜ内府(徳川家康)はあのような危険な場所に本陣を構えたのだ。不思議でならぬ。あの桃配山(ももくばりやま)というのは、たかだか3町余り(実高は約380㍍)に過ぎぬ。内府にとって居心地のよい場所ではなかろうに。我ら西軍の約3万(実数は2万8千960)が陣取る南宮山(なんぐうさん)の西麓の小高い隆起のような場所に陣取るとは。何をするにも「石橋を叩いてなお渡らない」とまでいわれた慎重居士の内府らしくない本陣の構えようではないか。何かある。何かあるに違いない。

 

 豊臣政権5大老のひとり、会津・上杉景勝(うえすぎかげかつ)を討つべく伏見を出発した内府が大津城に入った。その時に私は内府に対して「我が居城・水口城にもお寄り戴きたい」と申し出た。悪意も陰謀もなかった。会津討伐に向かう内府とその一行を接待したいとの想いからであった。だが、1度は承諾した内府は、私が待っていた水口城を足早に通過してしまった。直後に内府から「約束を違えたことを詫びる。急がなければならなかったからだ」との詫びを持った使者が寄越された。後で聞くところには、内府は治部少輔(石田三成)による奇襲が計画されているとか、この正家も内府への異心・陰謀があるとか誰ぞに吹き込まれてのことであったらしい。疑心が膨らみすぎたのであろう。あれで、私と内府公の軋轢は一気に深まった。

 

 それから7月になって、私は増田長盛(ましたながもり)や前田玄以(まえだげんい)など5奉行の3人と計って「内府違いの条々」という、内府を弾劾する公文書を発給して治部少輔や毛利輝元(もうりてるもと)公の決起も促した。以降、西軍は毛利・宇喜多秀家(うきたひでいえ)の2大老と治部少輔を加えた4奉行の体制になった。

 

 西軍決起の8月下旬、私は今、南宮山の麓に3千で陣取る吉川広家(きっかわひろいえ)や6660を擁する宇喜多勢とともに、東軍の勢力下にあった伊勢・安濃津城を攻撃して開城させた。その勢いを駆って、この関ヶ原に陣取り、この南宮山に約3万が陣取ったのだ。私の軍勢は1500ながら、隣に陣取る安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は1800。毛利秀元殿率いる本軍1万6千を合わせれば、眼下に見下ろせる桃配山にいる内府本陣などひとたまりもあるまい。だからこその疑念なのだ。あの慎重居士の……。

 

 あっ。この瞬間、私は気付いた。そうか、吉川が密かに内府と通じていたのか。そういえば、我が諜報が「吉川の動きに不審あり」と伝えていたのに、私は大軍とともにいる安心感で気配りを忘れていた。我が南宮山の陣の配置を見れば、吉川が降り口を塞いでいるのが分かる。何ということか。吉川勢に阻まれれば、3万の兵は容易には山を下れない。

 

 何としたことか。今、下らなければ決戦に間に合わない。南宮山から内府の本陣までは5つの小峰がある。今、下らなければ1刻(約2時間)もかかるのに、間に合わない。

 

 毛利の本隊は、何故動かぬ。長宗我部(ちょうそかべ)もジリジリしているらしい。あっ。関ヶ原では一進一退の合戦が繰り広げられているというに。間に合わぬ、間に合わぬ、間に合わぬ。

 

         ◇

 

 西軍敗北の一因にもなった南宮山の不戦。敗戦後、正家は居城・水口城に辿り着いたが結果として捕虜となり、後に自害した。

 

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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