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吉川広家に翻弄され、開戦に踏み切れず悩んだ「毛利秀元」(西軍) 

「関ヶ原の戦い」参戦武将たちの本音! 第7回 


天下分け目の大戦・関ヶ原合戦には、取り上げられることが稀なマイナーな武将たちも参戦していた。それらの中から東西両軍武将たちをフォーカスし、なぜ東軍(西軍)に加わったのか、合戦での役割はどんなものであったのか、さらには戦後の動向など、その武将たちの動きと心の裡(うら)を読み解く。


 

毛利秀元 もうり・ひでもと
所領/防長2カ国18万石、動員兵力/16,000人(推定)
布陣場所/南宮山、合戦での動向/静観
戦後の処遇/本家の減転封で長門長府3万6000石に分知

 私はこの戦いに積極的に応じた訳ではなかったが、反徳川として治部少輔(三成)に呼応した毛利本家の意向通りの行動を取った。7月17日には内府(家康)の留守居を追い出して大坂城西之丸を占拠した。8月27日の伊勢・安濃津城(あのつじょう)攻撃でも先頭を切って戦い開城させた。その勢いを駆って9月10日、南宮山に布陣した。

 

 それにしても、南宮山くらい不便な場所はなかった。水もなく、兵糧の輸送にも手間が掛かる高い山だ。年上の従兄・吉川広家(きっかわひろいえ)の判断によって南宮山布陣ということになったのだが、どうして広家は、こんな場所を選んだのか。私の不信はすぐに晴れた。広家は、私が毛利本隊1万6千を率いていたので、南宮山の頂上に押し上げておき、自らは3千の兵で私の本隊の降り口を塞ぐような形で布陣したからだ。

 

「これでは、いざ決戦には間に合いませんぞ」「目と鼻の先に、内府の本陣・桃配山(ももくばりやま)があるというのに」「吉川殿は何をお考えか」など、家老たちからは同様の不信と不満が私に伝えられた。その通りだと思う。だが広家は、私の伝言を伝えようとしても、その伝令にさえ会おうとしない。そのうちに、広家の腹の裡が分かってきた。

 

 もしや、広家は東軍に内通したのではないか。そういえば、広家は東軍の武将・黒田長政(くろだながまさ)と懇意であった。何度か、黒田の使者が広家を訪れているという噂も耳にしていたが・・・。私はまだ21歳とはいえ、毛利本家・輝元(てるもと)公から采配を任された立場。いわば、毛利本隊ばかりか、安国寺恵瓊(あんこくじえい)の1800、広家の3千まで含めた毛利勢の総帥でもある。だからこそ、この関ヶ原まで東軍との戦いに専念してきたし、家臣団もよく従ってくれたのだった。だが、このままでは本当に決戦の火蓋が切られても、戦場に駆け付けることが出来ない。私たち毛利本隊のみか、共に南宮山に陣取った長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)6600、長束正家(なつかまさいえ)1500も動けぬまま終わってしまう。何と、3万近い西軍の兵が広家1人の思惑によって動けないまま、戦えないまま終わってしまうのだぞ。

 

 口惜しかった。出来れば本隊を指揮して広家の部隊を蹴散らしてでも関ヶ原に出たかった。遠く見渡せば、既に決戦は始まっていた。全体に西軍の有利が見て取れた。今、南宮山から兵を出せば、東軍は一溜まりもあるまい。私は唇を血が出るほどに噛んだ。采配を握る手がぶるぶると震えた。戦さが終わったなら、広家の裏切りは決して許さぬ。そうも思った。 だが、この毛利本隊1万6千のうち、私の兵は4千、他は国許の国衆(豪族たち)の兵とあって直接に強引に指揮することも出来ない。その時だった。長束から「参戦要求」があった。長束の使者は勢い込んで本陣に来た。これに対して、広家は「毛利本隊は弁当を使っている最中」と告げたともいう。冗談ではない、戦さの最中に弁当を食う馬鹿がいるか。

 

 弁当は、合戦が西軍敗北になった後の撤退途中で、これ以上東軍とぶつかり合いたくないとして伊吹山中でのことだ。

 

 何とか大阪に辿り着いたが、私の心は今も忸怩たるものばかりで占められている。吉川広家め。絶対に許さぬ。

 

         ◇

 

 120万5千石の毛利家は周防・長門36万9千石に減封された。秀元は長府に分知されたが、後に毛利家の藩政を統括した。秀元の広家への反発は根強く続いたという。

 

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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