古代日本人が神を祀るのは、現世の利益を強く望んだ結果⁉
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #057
日本の神様はいつごろから祀られ始めたのだろう?おそらく神の存在が知られる以前から、形にならない何かしらの力のようなものを人類は感じていたかもしれない。国津神(くにつかみ)の大物主が大神を奈良・三輪山に祀ってから、宮殿の同床に祖先神の天照大神(あまてらすおおみかみ)と大物主大神(おおものぬしのかみ)を祀ると、神同士が争ったという。天照大神はなぜ伊勢にあるのだろうか?
国津神は生活をする人間に利益をもたらしてくれる神

石切劔箭神社(大阪・東大阪市)
「でんぼ(腫れ物)の神様」「石切さん」としてお百度参りが有名で、生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを起源とする。(撮影/柏木宏之)
古代人と神の関係を考えてみましたが、結論はごく単純でした。
古代人は、まず祖先神を祀ります。栄えた邑国集落を築いたのはほぼ渡来人ですから、中国大陸や朝鮮半島に起源をもつとされる天津神(あまつかみ)系を祀る氏族が多かったようです。
しかし、住み着いた日本列島各地の独特の気象下で農耕生産をしなければならないことに気づくと、国土に古くからあちらこちらに坐(いま)す国津神が新たに祀られ始めます。
それは稲作を害する風の神を鎮めるためであったり、利もあるかわりに害ももたらす水の神であったりします。まさに国土に坐す神々ですね。
そして豊作や豊漁を司る恵みの神として、国津神のトップである大物主大神を国家が祀ります。
面白いのは、第10代・崇神(すじん)天皇の時代に大物主大神を三輪山に祀ってから、宮殿の同床に祖先神の天照大神と大物主大神を祀ると、神同士が争い、しまいには世話をする斎宮の身体にも悪影響が出始めます。

鴨山口神社(奈良県御所市)
御祭神の大山祇神は山の神とされ葛城山の入り口に鎮座する。(撮影/柏木宏之)
天津神の子孫・大和王権が大物主大神を祀ったために起きたこととは
そこで、天津神の子孫であるはずの大和王権は大物主大神を祀り、ことばは悪いのですが天照大神をなんと追い出してしまうのです。
はっきり言って流浪の旅に出た天照大神は、ようやく伊勢に良き処を見出して落ち着いたのです。
王権の中心地から遠く離れた伊勢神宮の創始ですね。
もちろん王権は伊勢神宮を篤く祀りますが、国家領民の生活を守るためには、祖先神よりも現地の国津神の方が富をもたらしてくれたということなのでしょう。
ですから祖先を大切にするために社稷(しゃしょく)を祀りつつ、天神地祇(てんじんちぎ)を祀らねばならないことになるのでしょう。
わかりやすくいうと、この世に生活をする人間に利益をもたらしてくれる国津神(八百万/やおよろずの神々)を敬い怖れて祀るようになるのでしょう。

鴨都波神社・神農社(奈良県御所市)
祭神が少彦名大神である。(撮影/柏木宏之)
しかしながら神の系図を見てみると、大国主命の奥様は天照大神の弟スサノオの尊の娘ですから人間的にいうとずいぶん濃い親戚関係にあるのです。
もしかすると後の時代に親戚関係の物語を創作したのかもしれませんが、素直に元々同じ民族関係があったと考えることもできますね。
そのグランドゼロ地点が、朝鮮半島南部にあっただろうと想像を逞しくすると、そこに鴨氏や秦氏などの古代大氏族の姿もちらついてきます。
文系の大国主命と理系の少彦名命が協力する話などは、まさに国津神と天津神が協力しているわけですから、そもそも神も同祖であるといえるかもしれませんね。
かなり汚い話ですので調べてもらいたいのですが、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が我慢比べをして有機肥料を発見する説話などは仲が良くて面白い話です。
古代人が神を畏れ敬うのは、現世利益を強く望んだ結果なのですね。
あ、神頼みは今もそうですね!(笑)