古代日本人の食事情と神様との関係とは?
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #055
身近な神様には地元の神様や物や場所、職業の神様がいる。天津神と国津神の祖先神がいる一方、「久延彦(くえびこ)」という物知りで身近な神もいる。その神は案山子のことを表していた。古代人は神というものをどう考えていたのだろうか?
古代人が神秘と神を感じ、崇め奉ったとされる「暦」
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世の中を見渡している事からなんでも知っている神様として信仰された案山子を祀る久延彦(くえひこ)神社社殿(奈良県桜井市)撮影:柏木宏之
人に限らず生き物につきまとう最大の問題は食料の確保です。
現代の私たちは魚肉野菜果物そのほか、何でもすぐにスーパーマーケットやコンビニで手に入れることができます。しかし、古代人は肉が食べたければ獣を捕まえて加工処理しなければなりませんし、魚は釣りあげなければなりませんでした。御飯が食べたければ稲を植えて大変な重労働を伴う栽培をして、無事に収穫をしたうえでやっと米が手に入るのです。
古代人は十分な食料を手にするためにはつきまとうさまざまな障害を排除して、収穫量を少しでも多くするためにさまざまな工夫をしなければなりませんでした。
古代日本列島の生活事情をもう少し考えてみましょう。
縄文時代の温暖な海進期は採集狩猟(さいしゅうしゅりょう)生活も順調で、人口も少ないので結構ゆったり暮らせたかもしれません。ですから手の込んだ縄文土器を作る時間的余裕もあったのでしょう。
ところが稲作が主流になる弥生期は忙しくて芸術性の高い土器をのんびり作っている暇が無くなります。
稲作はわき目もふらず懸命に仕事をしなければなりませんが、災害などで一度失敗するとその年の収穫ができなくなり一気に人々は飢えてしまいます。人口も多くなっていて食料もより多く必要でした。
田の神、海の神、山の神は人々に恵みを与えてくれる重要な神々だったことが想像できます。
恵みを与えてくれる神々を敬い、神罰を得ぬように大切に祀るのは当然だったでしょう。
同時に神の領域で人々にとって重要だったのは「暦」ではなかったでしょうか?
四季のある日本列島ではなおさらで、強烈に寒い冬、そして芽吹きの春、猛暑と台風・水害の夏、実りの秋と1年かけて季節が巡ります。天文観測は非常に古い歴史を持ちます。春分や秋分、冬至や夏至を知らなければ稲作はできません。
しかもその季節のめぐりや太陽の位置などは神の領域なので、古代人は命がけで観測しています。当然、専門家グループが責任を持って季節の到来を告知したでしょう。また古代人が神秘を感じ、神を崇め奉ったのは当然かもしれません。
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久延彦神社の立て札 撮影:柏木宏之
『古事記』の時代から登場する案山子(かかし)
稲作は田起こしの時期、種籾(たねもみ)を蒔く時期、田植えの時期、水を入れる時期、田の草を取り除く時期、土用干しの時期、そして雀を追う時期、稲刈りの時期などなど、数か月に集中して働かなければなりません。田の神に豊作を祈り、風水害の神には鎮まるよう祈ったことでしょう。
『古事記』の少彦名命(すくなひこなのみこと)が登場する段に、「久延彦」という物知りの神が登場します。これは案山子のことで、昼も夜も田んぼに立って世の中を見渡している神なのです。
案山子は想像以上に古くから田んぼに立っていたことがわかりますね。わが国には古代からさまざまな神様があちこちにいます。八百万(やおよろず)の神々という、人の営みのすべてに神様がいるという考えなのですね。