葛城金剛山を「高天原」として神々を祀った古代豪族「鴨氏」とは?
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #054
古代の一族・豪族はそれぞれに神を祀っていた。共通する神やまったく独自の神ともいえる神々が祀られた。その神々の系譜をみると、それを祀った豪族の祖先や出身地が見えるようだ。大和地方で最も古いと思われる一族の鴨氏とその神々について考えてみよう。
■葛城金剛山は「高天原」だと考えられていた!?

水田跡に隣接した鴨都波神社(かもつばじんじゃ)(奈良県御所市)撮影:柏木宏之
和歌山北部から奈良県南部にかけて、古代の鴨氏の痕跡だと思える遺跡が多く見受けられます。氏名の「鴨」とは何を語源にするのかはわかりませんが、「伽耶(かや)」ではないかと考える説があります。確かに鴨氏の物と思われる遺跡からは朝鮮半島南部にあった伽耶の特徴を持つ遺物が散見されるようです。鴨氏は大和地方に当時の最新文化の稲作を持ち込んだ一族のひとつだといえるでしょう。
弥生時代に北九州に持ち込まれた稲作文化は、瞬く間に日本列島を駆け上がります。奈良県の御所市で発見された大規模な水田跡に秋津遺跡と中西遺跡があります。また、その水田跡に隣接して鴨都波遺跡(かもつばいせき)という大住居群も発見されています。これらの人々の営みの痕跡は弥生中期のもので、すでに相当なエリアに広がっていたと考えられます。この御所市内には「鴨」を冠する神社も多く、鴨氏が祀った神々が広く存在するエリアだと考えられます。
時系列を考慮しながら考えてみましょう。御所市の西側、葛城金剛山中腹に高天彦(たかまひこ)神社があります。金剛山の古名は高天山だったそうで、平安時代には、このあたりの高台が「高天原(たかまのはら)」だと考えられていたようです。
ちなみに天孫族は、九州宮崎の高千穂に降臨したとされていますが、結構各地に天孫降臨の聖地は見受けられますし、天岩戸もあちこちにあります。高天彦神社の主祭神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)で、天照大神に天孫族の降臨を命じる神です。高天彦神社には現在、立派な本殿がありますが、元は金剛山自体をご神体としていたようで、創建もはっきりしないほどの古社ですが、今も大切にされている重要な神社です。
■紀伊地方から北上した鴨氏が本拠地に祀ったのは天津神(あまつかみ)系

葛城金剛山中腹にある高鴨(たかかも)神社(同御所市)撮影:柏木宏之
高天彦神社から少し下ったところには「高鴨(たかかも)神社」があります。このエリアは、おそらく鴨氏が紀伊地方から北上して来て最初に本拠地とした場所ではないかと思われます。
主祭神は「阿遅志貴高日子根命(アヂシキタカヒコネノミコト)で、別名を迦毛之大御神(カモノオオミカミ)といいます。「大御神(おおみかみ)」と敬称がつくのは「天照大御神」と「伊邪那岐(イザナギ)大御神」の三神だけだそうですから、実に神格が高い神様ですね。鴨氏がやって来て最初に祀った神々は、みな天津神(あまつかみ)系だということですね。
その後、鴨氏は本格的に水田を造るために、高鴨神社から北東の方角にある平野部に移動します。それが冒頭に紹介した鴨都波遺跡の住居群と秋津・中西遺跡の大規模水田跡だと考えてよいでしょう。
ここには今も大切に信仰されている鴨都波(かもつば)神社があります。創建は崇神天皇の時だとされていて、祭神は積羽八重事代主命(ツワヤエコトシロヌシノミコト)で、大国主命の御子だとされています。この神様は国津神(くにつかみ)ですね!
元々天津神を祀っていた鴨氏が国津神を祀るようになったのはなぜでしょうか?
謎が深まります!