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本格的な戦車戦向けを目指すが時すでに遅し:四式中戦車(チト)

日本戦車列伝 第13回 ~国産戦車の開発と運用の足跡を辿る~


日本陸軍が持てる技術力の粋を集め開発した四式中戦車(チト)。M4シャーマン戦車やT34戦車とも互角に戦えたであろう本格的戦車の全貌を解き明かす。


 

終戦後、アメリカ軍が撮影した四式中戦車。砲塔前面の防盾部から駐退器が飛び出しているという戦車設計上の不慣れな点もうかがえるが、一見するとドイツのティーガーIIにも似たシルエットである。わずか2両しか生産されなかった(異説あり)が、もし実戦に投入されていたら、かなりの活躍を示したかもしれない。

 太平洋戦争における日本軍は、歩兵支援用に開発された九七式中戦車をスタート地点として、同車の砲を換装することで、対戦車能力を向上させた改良型を開発し、後継の戦車を生み出すという手法で主力戦車の性能向上を図った。これはつまり、砲は対戦車戦闘に対応できるよう逐次強化されるが、防御力の向上には、おのずと限界があるという状況といえる。

 

 事実、戦車戦の実相が伝えられるようになると、九七式中戦車ベースの改良では適切な装甲が施せないことがますます明確化した。

 

 そこで日本陸軍は、対戦車戦闘に主眼を置いた新しい戦車の開発に着手する。これが四式中戦車で、当初は47mm砲の搭載が考えられたが、すぐに57mm砲に格上げされ、最終的には、スウェーデンのボフォース社製75mmM1929に範を求めた長砲身の五式七糎半(ななせんちはん)戦車砲が搭載された。同砲は、日本陸軍にとっては大口径で強力な戦車砲であったが、世界標準で見ると、すでに平均より劣る威力の戦車砲にしか過ぎなかった。しかしそれでも、アメリカのM4シャーマン戦車やソ連のT34戦車との交戦が可能程度の威力を備えていた。

 

 装甲厚は、やはりM4T34と同等程度であり、当時の世界標準程度といえた。

 

 しかし最大の問題は、この五式七糎半戦車砲の生産のスピードが遅いだけでなく、装備する車体の開発も遅かったことだ。というのも、すでに日本は負け戦の状態になっており、海を渡って目的地に届ける前にアメリカ軍によって輸送船ごと沈められてしまう戦車などよりも、航空機や艦艇の生産が急務となっていたからだ。

 

 結局、制式化こそされたものの、四式中戦車は終戦までに試作車2両が生産されたに留まった(6両の異説もあり)。しかも国内に留め置かれ、実戦には全く投入されていない。

 

 このように、せっかく開発されたM4T34に対抗可能な戦車ながら、結局のところ「遅かりし」の存在として戦局に貢献することはついぞなかった。

 

 そしてこれが「海国日本」の戦時下の現実だったといえよう。

 

 

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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