歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第76回~上杉景勝~
寡黙なイメージで描かれる景勝、知性は謙信の5倍! 遊び心もあり霊感に助けられたラッキー人生
〇意外にも遊び心がある!
寡黙でほとんど話さなかったという景勝。そんな主君を慕ってか、戦に向かう上杉軍の中には、無駄口をたたく者は誰もいなかったという。しかし、鑑定の結果、景勝は「食神(しょくじん)」という、遊び心の星を持っていることが明らかになった。「食神」とは、大勢の人と群れておしゃべりをしたりカラオケをしたりお食事をしたりすることが大好きな星。子供っぽく素直な性格を持っている。現代に伝わる景勝像とは多いに離れているように思うが…。
この結果から、景勝はカリスマ性や統率力を示すために、寡黙な自分を作り上げていたのではと思う。謙信は、「越後の龍」と呼ばれ、凡人にはとても理解できないカリスマ性を持っていた。そんな謙信の跡を継いだ景勝。あえて自分を封じ込め、余計な言葉を発しないことで威厳を保とうとしたのではないか。確かに、無駄口ばかり叩く人に比べて、話さない、笑わない人の方が、何を考えているかわからず、秘めた才能を持っているように感じる。上記に述べたように、頭のいい景勝である。考えた末、新たな自分像を作って周りをだましていたのかもしれない。
そんな景勝がただ一度だけ笑みを見せたことがあるという。景勝が飼っていたサルが、自分をマネするように、人に指示をして見せたり偉そうな振る舞いをしたりした。その時はさすがの景勝も笑みを浮かべたとか。それがエピソードとして残るくらいだ。普段はよっぽど気難しい顔をしていたのだろう。本来の自分を押し殺していたと考えると、非常に苦痛だったことと思う。しかし、ツーカーの仲と言われる、家臣・直江兼続には本当の自分を見せられたかと思うと少し安心する。
〇変わったことをやりたい!でも結局実直な性格!
景勝は命式に「偏印(へんいん)」2つを持っている。これは、知性の星であると同時に、変わり者、個性的な星。放浪や海外が好きで、現代で言うと、ベンチャー企業に向いている。景勝は、人と違うことをしてみたいという願望が強かったのだろう。しかし、一方で「印綬(いんじゅ)」という正統派の星も持っている。これも知性の星であると同時に、名誉を求める真面目な星。律儀な性格はここから来ているのだろう。
秀吉の死後、家康は使者を送って景勝の上洛を促した。これに対し、上杉家は、十六ケ条にわたって釈明し戦をたきつけた。世にいう「直江状」である。(真偽については諸説あり)これに腹を立てた家康は、豊臣政権に対する謀叛であるとして、会津征伐に乗り出す。これが関ヶ原の戦いの引き金となるが、最終的に西軍は敗れてしまう。その後、西軍の大名が次々と下る中、3か月間にわたって、景勝は反徳川の体制を取り続けた。天邪鬼な性格が見て取れる。しかし、家康に正式に降参したあとは、不満な顔ひとつ見せず、懸命に軍役を務めた。大阪の陣にも出陣し、その活躍ぶりは家康も称賛したという。こんな律儀な性格が買われ、上杉家はお家のお取りつぶしを免れたのだろう。
〇優しく相手を思いやる
景勝は、人脈の星を30%持っている。主星(月柱の蔵干通編星)と呼ばれる、自分を表す最も重要な部分に「偏財(へんざい)」を持っている。コミュニケーション能力が高く、お人よしなくらい優しい性格だったのだろう。
景勝は、最も信頼を置く家臣・直江兼続の意見をほとんどを受け入れたが、たった1度だけ意見を認めないことがあった。関ヶ原の戦いの時である。会津攻めのために上杉の領地に向かう家康を討つべく、策を練って待ち受けた。しかし、その途中で三成の挙兵を知り、家康は退去してしまった。その時、兼続は「追いかけましょう。今であれば家康を討つことができる」と進言するも、景勝は「今回は家康が仕掛けて来た戦であり、家康が引いた以上はこちらも引き返すのが道理である」と主張し、追撃を許さなかったと言う。謙信譲りの「義」を大切にする武将であるとともに、相手を優しく思いやれる人柄だったのだろう。しかし、お人よしが過ぎたのだろうか。最終的に関ヶ原の戦いで家康に敗れ、会津120万石から米沢30万石に減封されることになる。
〇米沢での慎ましい生活が景勝に合っていた!?
景勝は、十二運星に「墓(ぼ)」を持っている。「墓」を持つ人は、墓守りの役割を持っているが、地味で地道な生活を好む。それも、月柱という、仕事や結婚を表す一番大事な場所にこれを持っている。あでやかな生活よりは、地道に生きるほうが景勝らしいのかもしれない。
関ヶ原の戦いでの敗北により、上杉家は会津120万石から米沢30万石に移封を命じられるが、景勝は家臣をリストラせず、希望する者全員を米沢に連れて行ったという。これまでの4分の1の石高で家臣を養うのは骨の折れる仕事だったであろう。質素倹約を旨とし、新しい土地を開墾し、地道に藩を作り上げていった。波乱万丈な生涯であったが、この時が一番景勝にとって安心できる時間だったのかもしれない。
今回、上杉景勝を四柱推命で鑑定したが、改めて考えさせられたのは、偉大な武将の跡継ぎの気苦労だ。殊に、景勝のように、頭がよくて自分の立場をわかっており、優しい性格の持ち主からすると、大変な重責だったことと思う。あえて、無邪気さを隠して、寡黙な自分を演じたのも、苦肉の策である。景勝についての評価は様々あるが、江戸時代にも上杉家を存続させた功績は大きいだろう。景勝が家臣を説き伏せた、『迂を以て直と為すと云うことあり、危うき道に不意の患あり』にひとかたならぬ思いを感じる今日この頃である。
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。
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