NHK『人形劇 三国志』諸葛亮の頭部が4回も造りなおされたのは何故だったのか⁉
ここからはじめる! 三国志入門 第49回
ある程度の年齢層の人と「三国志」の話をすると、かなりの確率で名前があがるのがNHK『人形劇三国志』(1982年10月~1984年3月)だ。毎週土曜の18時から45分間、足かけ1年半、「桃園の誓い」から「孔明五丈原に死す」までの68話が放送された大河ドラマ以上の超大作であった。その大作を彩った人形の魅力に迫りつつ、本作が日本の三国志界に与えた影響について、何度かに分けて振り返ってみたいと思う。

多くの人を魅了し続ける諸葛亮(孔明)の人形/川本プロダクション提供
まず、それまで三国志を題材にしたこれほどの長編の映像作品は、本場の中国にも存在しなかった。『三国演義』という全84作のドラマの完成は人形劇から10年後の1994年。操演者に聞いた話では、中国のテレビ局のスタッフたちがNHKのスタジオへ研修に来ていたほどであったという。
最大の魅力は、やはり人形の美しさ
本作における最大の魅力は、なんといっても人形美術作家・川本喜八郎氏(1925~2010)が製作した数々の人形。主役級から脇役、チョイ役、一般兵や民衆まで、一体一体つくり込まれた。顔の部分は和紙や動物の皮が使われ、服も生地選びから始まり、胴の部分への縫い込みまで行われた。武器や馬も造られたほか、軍勢は「メカ馬」という特殊装置で表現された。放映にあたって製作されたその人形の数は、じつに約400体にも及ぶ。
惜しくも2010年に他界した川本(以下敬称略)だが、筆者は何度か生前にお話させていただく機会に恵まれた。当時のメモや書籍をもとに、いくつか逸話を抽出するとしよう。
「僕は、もともと三国志が好きでしてね。きっかけは吉川英治さんの小説『三国志』が最初です。そこから思い描いた顔は人物のものではなく人形の顔でした。だから人形劇放映の話が来るより10年近く前から、個人的に人形を何体か造って東京のアトリエに置いていたんです。NHKからオファーが来た時には、これはもう運命だと。人形たちの出番が来たんだと思いました」
川本が最初に製作した人形は、意外にも呂布だったとか。そのほか関羽、諸葛亮、曹操など、主要な登場人物の人形は早くからできていた。
「でも結局、ほとんど造りなおしたんです。そのままのイメージで使ったのは関羽、張飛ぐらいでしたね。たとえば趙雲は、見直してみたらパワーが足りないなと思ったので2回ぐらい造りなおしました。曹操も最初はもっと悪人ヅラでしたが、これではダメだと思って変えたんです」

上段左から曹操・劉備・孫権。下段左から趙雲・貂蝉・呂布。川本プロダクション提供
影響力が大きかった、趙雲と曹操の造型
とくに川本が挙げた両名は、日本におけるビジュアル像の確立にかなりの影響を与えたといって良い。趙雲は横山光輝「三国志」などでは骨太に描かれ、浮世絵でも恰幅が良くてヒゲ面が定番だったが、川本は凛々しく強そうなイケメンにした。裏話であるが「趙雲にならなかったカシラ(人形の頭部)」は、夏侯淵(かこうえん)として生まれ変わった。だから本作の夏侯淵は趙雲によく似ているし、そのためか登場場面も多い。
そして、もう一人の曹操は川本が最も好きだった人物だ。中国の京劇などでは、曹操は悪役をあらわす白い顔で、体格はデップリとした貫禄のある姿が定番。川本は「悪役の白」というイメージは踏襲しつつ、痩身で色白の二枚目にした。
曹操は横山版でも格好よく描かれていたが、人形劇も二枚目に造られたことで曹操人気の高まりに一役買い、その後の二次作品などに大きな影響を与えたのは間違いないところ。
川本が「一番苦労した」と話していたのは、諸葛亮(孔明)のカシラ(頭部)。「なかなか孔明になってくれなくてね。4~5回は造りなおしました。ある日の夜中、まるで降りてきたかのように完成してくれたときは嬉しかったです」。その一番よくできた1つのカシラは本編で使われ続けた。
他にも目が横に動くカシラ(横目の孔明)も造られたが、撮影では使われず展示会やイベントなどで何度か披露されている。

2007年、アトリエでインタビューに応じる川本喜八郎氏。川本プロダクション提供
「人形っていうのは、人間の役者とちがって、その役を演じるためだけに生まれるものです。でも人形を造っているとね、人形が生まれてくるのをお手伝いしている、僕は人形に『お仕えしている』だけなんじゃないかって思うんですよね」と川本は、取材を受けるたびに話していた。
三国志の英雄たちと同じように「使命」をもってこの世に生まれてきた人形。人形自体の表情が変わるわけではないが、操演者の工夫もあり、角度や動きによって表情が変わったように見える。だから本作で「人形」が死ぬシーンは本当に見ていて悲しくなり、感動してしまう。
ファンの思い入れも半端ではなかった。これも川本の談話によるが、本作で関羽に深く惚れ込み、中国湖北省にある関羽の胴塚(関陵)に自分の指輪を捧げてきた女性ファンがいたそうだ。人形の造形美もあってか、本作には熱心な女性の視聴者が多かった。今も「無双」シリーズなどのゲーム作品が女性ユーザーを多く獲得しているのと似た現象といえよう。
賛否両論あった、呂蒙などのキャラ設定
さて、本作の放送は1980年代前半。まだ「正史」が文庫化される前で、コーエーの「三國志」シリーズ(1985年~)もない。多くの人は吉川英治の小説や横山光輝の漫画がバイブルであり、そのベースである『三国志演義』を楽しんでいた。
よって、本作の脚本も「演義」寄り。というより、それ以上に劉備や孔明が「善」で、その他の群雄は、基本的に悪役として扱われていた。あえて本作の欠点を挙げるとすれば、そのあたりになろうか。
曹操陣営の登場人物も少なく、たとえば張遼は人形自体は造られたが本編には登場しない。曹操の軍師では郭嘉(かくか)や程昱(ていいく)はよく登場するが、荀彧(じゅんいく)は死ぬ場面に老人の姿で登場するのみだ。「もっと活躍させたかった」と少し残念がっていた川本は脚本には関わっていなかった。
最大の「被害者」が呉の呂蒙。関羽もろとも民衆を騙し討ちして嘲笑する極悪人になっている。この扱いには当時のファンからも「やりすぎ」の声が強かった。ほか紳々、竜々(司会者・島田紳助、松本竜介の分身)の存在も賛否両論。ただ、これらの演出も当時の一般視聴者に理解をうながすための試行錯誤の結果であり、おおらかな気持ちでとらえるべきかと思う。
当時、撮影に使われた三国志人形は、現在は長野県飯田市にある『川本喜八郎人形美術館』に約200体が収蔵、定期的に入れ替えながら展示されている。また、川本がそれをモチーフとして晩年に再製作した48体が東京都渋谷区の『川本喜八郎人形ギャラリー』に収蔵、一部が展示されている。
そのほか、三国志の約10年後に放送された『人形歴史スペクタクル 平家物語』の人形も両館で観られる。世界的な評価も高い『花折り』『道成寺』『不射之射』などの人形アニメーションで使われた作品が観られるのは飯田市のほうだ。放送を懐かしむ人が主な客層だが、人形の美しさは若年層も虜にする。『人形劇 三国志』を中心に、新たなファンを生み出しつづける聖地として人気である。
取材協力:川本プロダクション