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粛清により権力基盤を盤石にした頼朝の急死

相次ぐ粛清で強化された「鎌倉殿」の立場

「曾我兄弟の仇討ち」の舞台となった大巻狩り
巻狩りは当時の軍事訓練のひとつで、建久4年(1193)駿河国富士野にて行われた。この巻狩りには源頼朝をはじめ、頼家、北条時政も参加。曾我兄弟は父親の仇討ちのため頼朝側近の工藤祐経を殺害する。「源頼朝公富士嶺牧狩之図」歌川国芳/国立国会図書館蔵

 源頼朝は、坂東の有力武士団に擁立されたからこそ「鎌倉殿」としての地位に就けたといえる。頼朝が率いる兵力を上回り、傲岸な態度をとったと言われる大豪族もいた。上総国の軍勢2万騎を引き連れ、頼朝挙兵に加わった上総権介広常(かずさのごんのすけひろつね)がその代表例だろう。治承4年(1180)11月の富士川の戦いの直後、上洛しようという頼朝を引き止め、関東に留まらせたのも、広常であった。つまり、この頃、頼朝は絶対的な地位になかったし、それを認めない者もいたのだ。

 

 しかし、その広常も寿永2年(1183)に謀反を企てたという理由で、頼朝に殺害される。双六(すごろく)に興じているところを梶原景時(かじわらかげとき)らに殺させたという。後に、頼朝は殺害の理由を、広常が朝廷の権威を軽んじ、上洛に反対したので、このような者を家臣にしていると神仏の加護が失われると恐れたからと、後白河法皇に伝えている(『愚管抄』)。

 

 当初は不安定であった鎌倉殿としての立場を、頼朝は粛清により盤石にしていく。広常の殺害しかり、義経の追討しかりである。しかし、信用できない家臣もいるかと思えば、信頼できる家臣もいる。頼朝は北条一族、特に義時(よしとき)に厚い信頼を寄せていた。

 

 その事を窺わせる逸話が『吾妻鏡(あづまかがみ)』(寿永元年=1182年11月)に記されている。頼朝は愛人の亀の前を伏見広綱(ふしみひろつな)の邸(やしき)に住まわせていた。しかし、愛人の存在が、頼朝の妻・北条政子(義時の姉)に知られてしまう(その原因は、政子の父である時政の後妻・牧の方の告げ口による)。

 

 怒った政子は、牧の方の父・牧宗親(まきむねちか)に命じて、広綱の邸を襲撃・破壊させた。広綱は亀の前を連れて、逃げ出し、大多和義久(おおたわよしひさ)の家に入った。

 

 数日後、義久の邸を訪れた頼朝は、皆の前で、牧宗親を面罵(めんば)し、彼の髻(もとどり)を切ってしまうのだ。宗親は泣きながら、頼朝の前を去っていく。これに怒ったのが、北条時政だ。宗親は、寵愛(ちょうあい)する牧の方の父。それに対し、恥辱を与えるとは「けしからん」と怒ったのである。

 

 時政は頼朝に一言もなく、伊豆に帰ってしまう。頼朝はその話を聞くと「義時は穏便な心を持つ者だ。時政は不義の恨みでもって挨拶もなく下国してしまったが、義時はそれに従っていないはず。鎌倉にいるか否か、見てこい」と家臣(梶原景季/かげすえ)に命じる。景季が帰ってきて「義時はいました」と告げると、頼朝は再び家臣を義時邸に遣わし、その後、義時を呼び寄せたうえで「そなたはきっと将来、我が子孫を護ってくれるに違いない。恩賞を与えよう」と称賛する。

 

 以上のエピソードからも、頼朝は義時を信用していて、時政を余り信用していなかったことが垣間見える。とはいえ、頼朝も挙兵時には、時政を信頼していたし、下国(げこく)事件があってからも、時政を上洛させ、朝廷との交渉に当たらせるなどの役割は与えている(1185年)。しかし、京から帰国して以降の時政は表立った活動をしていない。これは、頼朝に軽視され、干されていたと考えられる。亀の前事件で下国してしまったことにより、頼朝から信用ならぬ奴と冷遇されたのであろう。

 

 頼朝は、北条氏のみならず、比企(ひき)氏も重用した。比企氏は武蔵国比企郡の豪族で、比企尼という女性は頼朝の乳母だった。その縁で、頼朝は尼の甥・比企能員(よしかず)を厚遇。能員の娘・若狭局は、頼朝の後継者・頼家(よりいえ)に嫁(か)すことになる。また、頼朝は、比企一族の朝宗(ともむね)の娘(姫の前)を北条義時に嫁がせている(1192年)。頼朝としては、北条氏と比企氏の結びつきを強めて、源氏将軍の体制を盤石なものにしたいと考えていたのだろう。

 

 建久10年(1199)正月13日、頼朝は53歳で息を引き取る。前年の年末に、相模川橋の落成供養に参加し、その帰途、落馬。程なく死去したという。飲水病(糖尿病)ほか何らかの病で死去したとする説もある。

 

鎌倉幕府の歴史を綴った『吾妻鏡』
鎌倉幕府の事績を書き残した歴史書で、北条家一門の行動を正当化する記述が目立つ。なぜか源頼朝が死去するまでの直近3年間の記述が少なく、謎多き史料でもある。国立国会図書館蔵

 

監修・文/濱田浩一郎

『歴史人』2月号「鎌倉殿と北条義時の真実」より)

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