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【江戸の性語辞典】”セックスのしすぎ”を意味した「あごで蝿を追う」

江戸時代の性語⑨


江戸時代の性に関する言葉は、現代まで使われているもの、意味が変化したもの、まったく使われなくなったものなど様々。今見れば、予想がつかない意味で話されていた言葉や現在とはまったく異なる意味で使われていたものなどを選び、紹介していく。


 

■「あごで蝿を追う(あごではえをおう)」

 

 腎虚(じんきょ)とは、房事過多で衰弱すること。要するに、「セックスのしすぎ」である。男に言う場合が多い。

 

 江戸時代、動物性たんぱく質の摂取が極端に少なかったため、腎虚は必ずしも笑い話とは言えなかった。

 

 老人が若い妾を囲い、その結果、腎虚になるのは、艶笑小咄や川柳の定番である。

 

 そして、「あごで蝿を追う」とは、腎虚で寝込んでしまい、顔にハエがたかっても手で追う気力もなく、わずかにあごを動かしてハエを追い払う状態。重度の腎虚と言おうか。

 

<図>腎虚の男。(『腹内窺機関』(かしこ庵著、文政九年)、国会図書館蔵)

 

【用例】

①春本『股庫想志春情抄』(勝川春章、寛政七年頃)

 

 武士が妻と励みながら言う。

 

「腎虚して死ねば、戦場の討ち死にと同じことだ」

 

 もちろん、春本のふざけだが、平和な時代の武士階級への皮肉でもあろう。

 

 

②狂詩『太平新曲』(安穴先生著、文政二年)

 

 腮尖不遂蝿  腮尖って蝿を遂わず
 可憐真腎虚  憐れむべし 真の腎虚

 

 腮(あご)が尖(とが)るのは、やせ衰えたため。顔にハエがとまっても、手はおろか、あごで追い払う気力すらない。

 

 あわれなことよ、本当の腎虚である。

 

「あごで蝿を追う」ことすらできないのだから、腎虚も重症と言えよう。

 

 

③戯作『腹内窺機関』(かしこ庵著、文政九年)

 

 往診した医師が、患者の男に言う。

 

「どうでござるの。あんまり貴様の内の嬶衆(かかしゅ)美しいから、それで病気が治らぬのじゃ」

 

 医者は、男を腎虚と診立てていることになろう。嬶衆は、女房のこと。女房が美人なので、つい過ごしてしまうのだ、と。

 

 医者の往診の様子が、図である。

 

 

④戯作『娘消息』(三文舎自楽著、天保十年)

 

 娘ふたりが色恋の話をしていて、ひとりがしみじみと言う。

 

「しかし、互いに好いた同士で、あごで蝿を追うようになりゃ、それこそ誠に本望だろうね」

 

 好き合った男女が腎虚なるくらいセックス三昧をすれば、それこそ本望だろうね、と評している。

 

 好色な老人の腎虚は滑稽かつ醜悪だが、若い恋人同士の腎虚はほほえましいということだろうか。江戸の庶民の女が、セックスを肯定的にとらえていたことがわかろう。

 

 

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過去記事

永井 義男ながい よしお

1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。

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