【江戸の性語辞典】「吉原」とは呼ばない江戸のツウな呼称「ちょう」「さと」「なか」
江戸時代の性語⑦
だれもが一度は耳にしたことのある「吉原」遊郭。江戸時代は吉原のことを“吉原”とは呼ばず、別の名前で呼んでいたそう。ここでは江戸時代に使われていた言葉を解説していくのだが、今回は「吉原」の“ツウ”な呼び方について紹介する。
■「ちょう」「さと」「なか」
「ちょう」、「さと」、「なか」はすべて、吉原のことである。
吉原の関係者は、「吉原」とは言わない。みな、「ちょう(丁)」、「さと(里)」、「なか(中)」などと称した。通人も気取って、そう言った。それどころか、一般の男女まで、訳知り顔にそう言うことがあった。
戯作や春本は、各種の熟語に「ちょう、さと、なか」の読み仮名をつけている。

吉原の全景。(『東都名所 新吉原五丁目弥生花盛全図』歌川広重/国立国会図書館蔵蔵)
【用例】
①戯作『仮名文章娘節用』(曲山人著、天保五年)
大磯の妓楼の寝床。遊女の真名鶴は、初会の客の金五郎に出身を問われ――
鶴「そりゃあ、ぬしのことざんすから、お話し申しも致しいしょうが、身の上をあかしいしたら、ぬしに愛想を尽かされいしょう」
金「そう思うももっともだが、いずれこの郭(さと)へ身を沈めるには、幸せがよくって来た者はねえから、なに恥というではなし、話してきかせてもいいじゃあねえか」
――と、男は吉原を「さと」と言い、女も理解していた。
なお、大磯の遊廓という設定だが、もちろん吉原に擬している。
②戯作『娘消息』(曲山人著、天保七年)
大工の女房のお房は、かつて吉原の姿海老屋の遊女だった。たまたま通りかかった針売りの老婆が、姿海老屋のお針(裁縫係)だったとわかり、呼び止める。老婆は驚き――
「姿海老屋においでなすった時分と違って、さっぱり変わったおなりだから、ほかのお方かと存じました。そして、まあ、いつ、郭中(ちょう)をお抜けなさいましたえ……(中略)……私はまだ今でも、あなたが花街(ちょう)においでなさるとばかり、存じておりましたよ」
――と、郭中も花街も、「ちょう」と読ませている。もちろん、ともに吉原のことである。
③戯作『閑情末摘花』(松亭金水著、天保十二年)
吉原から手紙を届けに来た男は、相手が留守だと知ると、応対に出た女に――
「なに、わたしゃ、北里(ちょう)の三浦屋から手紙を持ってめえりやした。どうぞ、お帰んなすったら、これを上げておくんなせえ」
――と、手紙を託して帰っていく。北里(ちょう)はもちろん、吉原のことである。
④歌舞伎『三人吉三廓初買』(河竹黙阿弥作、安政七年初演)
男が、吉原の遊女と馴染みになったいきさつを語り――
「ひと晩付き合いで廓(なか)へ行ったところ、丁子屋の一重という女郎を買ったが、また食い味は別なものよ。それから俺も乗りが来て、今じゃあ馴染んで、ゆくゆくは女房に持とう、なろうという仲さ」
――と、相思相愛の仲になったことを自慢する。
廓(なか)は吉原のことである。
[『歴史人』電子版]
歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.4
永井義男著 「江戸の遊郭」
現代でも地名として残る吉原を中心に、江戸時代の性風俗を紹介。町のラブホテルとして機能した「出合茶屋」や、非合法の風俗として人気を集めた「岡場所」などを現代に換算した料金相場とともに解説する。