イギリスの注文で生まれた零戦の強敵:ノースアメリカンP-51マスタング
零戦と戦ったライバルたち 第3回 ~「驚異の戦闘機」零戦との死闘~
零戦をはるかに超える運動性能、速度、攻撃力をそなえたP -51マスタング。「第二次大戦で最も優れた戦闘機」とする戦史家、航空評論家も多い。その開発秘話を紹介する。

P-51D。本型以前のP-51シリーズは、コックピット後方に後部胴体が連なるファストバック型だったが、本型からは、きわめて視界に優れたバブル型キャノピーが用いられるようになった。
ヨーロッパに戦雲が垂れ込めた1930年代後半のこと。世界情勢の変化が速すぎて、開戦に備えての兵器の生産が追い付かないイギリスは、アメリカから各種の兵器を購入することにした。特に航空機の生産に優れていたので、第二次大戦開戦後の1939年暮れにカーチスP-40の購入契約を締結した。
ところがカーチス社はアメリカ国内の発注分の生産で手一杯で、1940年度中にイギリスがP-40を受領するのは難しそうだった。だがもう戦争は始まっており、イギリスは何としても、急いで戦闘機の増強を進めねばならなかった。そこで自国向けP-40をカーチス社以外の航空機製造会社に生産してもらおうと考え、イギリスはノースアメリカン社に話を持ちかけた。
するとノースアメリカン社は「わが社では、P-40を生産するのと同じ時間内で、より高性能な戦闘機の開発・製造が可能です」とイギリス側に伝え、1940年5月に契約が成立した。
ドイツ人亡命航空機設計技師シュミードが手がけ、ノースアメリカン社の社内番号NA-73Xを与えられた機体は、きわめて優秀な戦闘機として完成した。狂喜したイギリスは本機をマスタングと命名して制式採用。その後、アメリカも遅ればせながら、当初はA-36Aアパッチ急降下爆撃機として採用。さらに改良型をP-51として採用している。
初期のマスタングはアリソンV-1710を搭載し、低空領域での性能に特化していたが、ロールスロイス・マーリンのアメリカ生産型であるパッカード・マーリンを搭載するようになると、全高度域で優れた性能を発揮。そのため、第二次大戦最強の戦闘機と称されることもある。
それまでのアメリカ製戦闘機は、エンジンの馬力や速度性能で零戦を上回っていても、運動性能ではかなわなかった。しかしP-51は、零戦に近い運動性能を備えており、しかも速度は上なので強敵となった。
だがそれでも、ベテランパイロットが操る零戦は、しばしばP-51を撃墜している。