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戦闘機並みの軽快性を備える:九九式双発軽爆撃機(川崎キ48)

続・太平洋戦争日本陸軍名機列伝 第3回 ~蒼空を駆け抜けた日の丸の陸鷲たち~


敵飛行場を爆撃し敵機を撃破。その上で空戦を優位にすすめる。日本陸軍航空隊のドクトリン(基本原則)に従って開発された、九九式双発軽爆撃機の開発の経緯、性能、戦歴に迫る。


地上待機中の九九式軽爆撃機。見るからに軽快そうな機体で、実際に飛行性能はそこそこに優れていた。しかし防御が脆弱なのが玉に瑕だった。

 太平洋戦争前の1930年代、日本海軍は太平洋方面と南方に目を向けていたが、日本陸軍は中国大陸での一連の紛争に続く日中戦争と、ノモンハン事件のようなソ連との衝突を警戒し、仮想敵をソ連と定めていた。

 

 そのため、ごく簡単に言ってしまえば、海軍がその航空隊を洋上長距離飛行に対応させようとしたのに対し、陸軍はその航空隊を陸続きの戦場における敵航空基地の破壊や敵航空兵力の抹殺、すなわち航空撃滅戦の実施を考慮していた。そして同戦を実施するには、敵地奥深くまで侵攻する航続力も求められるが、それとは別に、攻撃後は味方の最前線基地まで戻って兵装を再装備し、敵地に向けて何度も繰り返し出撃できる能力、いわゆるターンアラウンドの効率の良さも求められた。

 

 そこで陸軍航空隊は、長距離侵攻を行う重爆撃機だけでなく、このターンアラウンドの効率に優れた双発軽爆撃機キ48の開発を193712月、川崎航空機に要請した。

 

 設計主務者となったのは、後に飛燕(ひえん)五式戦闘機を手がけることになる鬼才、土井武夫である。当初に搭載が指定された中島飛行機製のハ25空冷星型エンジンは、海軍では栄と称され、零戦や隼のエンジンでもあり信頼性の高さには定評があった。このような良いエンジンに恵まれたことで、キ48は優れた双発軽爆撃機として仕上がった。

 

 1939年に初飛行したキ48は、19405月に制式採用となった。名称は九九式双発軽爆撃機である。

 

 そしてその直後には、エンジンをハ25の発展型のハ115に変更した性能向上型の開発が始まり、ハ25装備型は九九式双発軽爆撃機一型とされ、ハ115装備型は九九式双発軽爆撃機二型として19432月に制式採用された。特に二型の機体は急降下爆撃に対応すべく堅牢に造られていたが、生産開始当初はダイブブレーキが間に合わず、それを備えない初期型は二型甲、ダイブブレーキを装着した二型は二型乙と称されて急降下爆撃が可能となっている。

 

 九九式双発軽爆撃機は頑丈で軽快な運動性を備えていたが、開発段階で要求されていた戦闘機よりも速く飛べるという特性は、戦闘機の急速な進歩によってすぐに失われてしまった。また、爆弾搭載量が少ないことと、比較的防御性能を重視していた陸軍機には珍しく、それが脆弱なのも弱点とされた。

 

 とはいえ、アメリカやイギリスの強力な新型戦闘機の目を避けるように超低空を駆け抜けて爆撃に向かう九九式双発軽爆撃機は、苦戦を続ける味方地上部隊にとって頼もしい「陸鷲」だった。そして陸軍航空隊が活動した各地の戦場で、終戦まで犠牲の多い奮戦を続けた。さらに戦後の一時期、中華民国空軍でしばらく運用されている。

 

 なお、連合軍は本機をKawasakiの“Lily”というコードネームで呼んでいた。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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