南方では大敗、極北では大勝した両極端な戦闘機:ブリュースター・バッファロー
フィンランド空軍戦闘機列伝 第2回 ~祖国を守った極北の異色ファイターたち~
30年代にアメリカ海軍の主力機として開発されながら、零戦など日本軍機に太刀打ちできなかった「失敗」機は、遠く北欧の地でフィンランド空軍の救世主となった 。−−数奇な運命をたどった、バッファロー戦闘機の全貌に迫る。
特長的なシルエットからついた愛称“バッファロー”

フィンランド軍で運用されるバッファロー。ブリュースター社における輸出向け設計番号のB-239で呼ばれることもあったが、フィンランド語の発音で「ブルーステル」とも称された。
全世界で航空関連技術が飛躍的な向上を示していた時代の最中の1936年、アメリカ海軍は、次世代の艦上戦闘機の要求性能仕様をまとめた。それまでの複葉機に代えて、単葉で折畳式主翼に引込脚と密閉式コックピットを備える機体である。これを受けて、ブリュースター社はブリュースター・モデル139(略称B-139)を提案。海軍は、これをF2Aとして制式化した。
F2Aは、海軍機なので不時着水の際の浮力を大きく得ることに加えて、空母の格納庫甲板への収納機数を増やし、さらには高速化をはたす目的から、あえて太く全長の短い胴体を備えた設計とされていた。
1930年代末になってヨーロッパに戦雲がたれこめると、イギリスやベルギーが本機を急ぎ購入(ただしベルギー購入分は同国の敗戦によりイギリスに譲渡)する。特にイギリスは、本機にバッファロー(アフリカスイギュウ)の名称を付与したが、これは後にアメリカでも使われるようになった。
このバッファローは、イギリスやオーストラリアの空軍、オランダ領東インド航空隊などがマレー、シンガポール、ビルマ、東インドをめぐる日本との戦いで運用。アメリカも、ウェーク島上陸やミッドウェー海戦などに投入した。だが本機は、日本が誇る隼や零戦の敵ではなく、一方的に撃墜されるばかりで、すぐに第一線を退くことになった。その外観と鈍重(どんじゅう)な機動性をひっかけて、日本軍パイロットは本機を「ビア樽」の蔑称で呼んだとも言われる。
かような次第で、バッファローは南の太平洋戦域では劣悪な機体というレッテルを貼られてしまった。ところが極北の空では、事情が180度異なっていた。
大国ソ連に侵略され、祖国を守る戦いに必死だった小国フィンランドは、世界各国から購入可能な兵器を次々に入手していたが、バッファローもそのひとつだった。しかし手に入ったのは、たったの44機にすぎなかった。
だがフォッカーD.XXIの後継として第24戦闘機隊に配備され、圧倒的多数で優位を誇るソ連空軍との戦いで、何と21機の損失でソ連機456機を撃墜。約1対21という信じ難いキルレシオを得た。本機1機の犠牲と引き換えに、ソ連機21機を撃墜したのである。その結果、バッファローで戦った30人以上が、5機以上撃墜のエースの称号を得たという。
このように、フィンランドでは優秀機と認められた数少ないバッファローは「真珠」の渾名で呼ばれて大切にされた。ゆえに陸軍部隊がソ連軍戦線の背後まで侵入し、不時着した本機を回収したこともあった。