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世界最強の格闘戦戦闘機:九七式戦闘機(中島キ27)

続・太平洋戦争日本陸軍名機列伝 第1回 ~蒼空を駆け抜けた日の丸の陸鷲たち~


日中戦争から太平洋戦争初期において、九七式戦闘機は日本陸軍の主力戦闘機であった。名機「一式戦闘機・隼(はやぶさ)」に繋がる設計思想と性能、戦歴、誕生の背景をコンパクトに解説する。


ノモンハン事件に出動した飛行第64戦隊の九七式戦闘機。ソ連機を相手に善戦した。

 日本が世界に誇る航空機設計の鬼才、堀越二郎の手になる海軍の九試単座戦闘機(きゅうしたんざせんとうき/のちの九六式艦上戦闘機)は、単葉固定脚の戦闘機としてはきわめて優れた機体だった。それを知った陸軍も、時代をリードする高性能戦闘機を欲した。

 

 当時は、まさに第一次大戦型のドッグファイト(格闘戦)の終焉期であり、そのドッグファイトに適した戦闘機開発の技術上の頂点の時期でもあった。このような状況下の19364月、陸軍は次期戦闘機の競合試作を中島飛行機、川崎航空機、三菱重工業の3社により実施した。

 

 その結果、戦後には航空業界に復帰せず、しかも戦前戦中の自身の経験の多くを語らなかったことから「不世出の名航空機設計者」として知られる小山悌(こやまやすし)が設計主務者として手がけたキ27が、九七式戦闘機として制式採用された。

 

 金属製の単葉ながら主脚は固定式という、まさに過渡期の時代を反映した機体に仕上がっていた九七式戦闘機は、きわめて優秀なドッグファイターで、特に水平面の戦いに強かったという。そのため「世界最強のドッグファイター」という評価もあるほどだ。

 

 日中戦争では中国軍機に圧勝。続く1939年のノモンハン事件でもソ連機に対して優位に戦ったが、航空戦の規模が大きかったため相応の損害を蒙っている。当時は空戦のスタイルがドッグファイトからヒット・アンド・アウェー(一撃離脱戦)へと変わりつつあり、同事件の後期には一部のソ連機がヒット・アンド・アウェーで戦い、九七式戦闘機も苦戦する場面があった。

 

 1941年の太平洋戦争開戦時も、次期主力戦闘機と目された「隼」の配備が遅れていたので実戦に参加している。当時の日本陸軍戦闘機パイロットには、日中戦争やノモンハン事件で活躍したベテランが多く、九七式戦闘機の機動性を生かして連合軍機を数多く撃墜した。

 

 さすがの九七式戦闘機も、戦争の中期以降は二線での防空戦闘機や練習機として運用されたが、戦争末期になると、一部の機体は爆弾を搭載して特攻にも出撃した。

 

 なお、連合軍は本機をNakajimaの“Nate”というコードネームで呼んでいた。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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