極北フィンランドで大活躍した戦闘機「トリコロールの空の騎士」:モラン・ソルニエMS406
フィンランド空軍戦闘機列伝 第4回 ~祖国を守った極北の異色ファイターたち~
同盟国のドイツ経由で、降伏したフランス空軍機を手に入れたフィンランド空軍。フランス生まれの華麗な戦闘機は、撃墜した敵戦闘機のエンジンを搭載することで、高い戦闘力を持つファイターに変身した。

ソ連との継続戦争時、積雪の飛行場で出撃準備中のフィンランド軍で運用されるモラン・ソルニエMS406。
フランス航空省は1934年7月、新型単座戦闘機開発計画C1を発表。これに、同国の航空産業界の名門モラン・ソルニエ社が提出したプランが選ばれた。
本機の尾部の降着装置には、尾輪ではなく前大戦時の航空機で多用されたテールスキッドが使われ、機体構造も鋼管フレームで組まれた胴体に外板を張り付けるというもので、特に胴体後部から尾部にかけては羽布張りという、当時でもやや古い設計だった。搭載されたエンジンは、860馬力のイスパノスイザ12Y31液冷である。
1935年8月8日、試作機MS.405-01の初飛行が成功。続くフライトテストの結果を各部に反映させたMS.405が15機、1938年2月から6月にかけて生産された。そしてその後に、量産型となる本命のMS.406の生産が始まった。
第二次世界大戦が勃発した1939年9月1日の時点で、MS.406はフランス空軍の主力戦闘機だった。しかしドイツの主力戦闘機メッサーシュミットBf109の敵ではなく、かなりの苦戦を強いられた。
フィンランドは、ソ連との戦争に際して、1940年にフランスから直接MS.406を入手すると戦闘に投入。さらにフランス降伏後は、ドイツを経て追加の本機を入手した。しかし、戦時下の航空機の性能向上は著しく、本機の旧式化は否めなかった。
最良の改善策は、航空機にとっての「心臓」であるエンジンを、より高性能のものに換装することだ。そこでフィンランド航空技術陣は、とんでもない奇策を考えつく。それは、なんと撃墜したソ連機のエンジンを回収し、それを修理してイスパノスイザ12Y31と載せ替えるというものだった。
実は当時、ソ連機に搭載されていたクリモフM-105P液冷エンジンは、かつて同国がM-100の名称でライセンス生産していた12Y31を、同国で独自に発展させた改良型だったのだ。そのため、12Y31と容易に換装できたのである。
かくして12Y31に代えて出力が向上したM-105Pを搭載したところ、MS.406の性能も向上。フィンランド空軍ではメルケ・モランまたはラグ・モランの愛称で呼ばれ、大いに活躍したのだった。なお、前者のメルケとはフィンランド語で「幽霊」の意、また、後者の「ラグ」はソ連製LaGG-3戦闘機のエンジンが、換装に用いられたM-105Pだったことによる愛称である。