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渋沢栄一が創立に尽力し”近代紡績工業発祥”の場となった「大阪紡績株式会社」(現:東洋紡株式会社)

渋沢栄一の足跡


渋沢栄一は500近くもの企業にその生涯で関わってきた。明治維新を遂げた日本は近代化に向けて動きだすのだが、世界の先進国に対抗するために、工業を発展は急務であり、もっとも遅れていた産業でもあった。栄一が創立、育成に尽力した会社のひとつ・大阪紡績株式会社は大規模な紡績事業を推進に大きな貢献をし、新しい産業として成長。綿糸・綿布は日本の主要な輸出品となったという。


 

大阪紡績株式会社の成長により
綿糸・綿布は日本の主要な輸出品となった

 

大阪紡績会社が創業された大阪市大正区の現在栄一が尽力した大阪紡績会社の跡地には現在、大阪・三軒家公園となっており「近代紡績工業発祥の地」を示す碑が立つ。

 

 渋沢栄一は数多くの企業の設立に関わったが、紡績業界の名門の大阪紡績株式会社(現:東洋紡株式会社)もその一つである。同社が現社名に変更したのは、平成24年(2012)のことだ。

 

 大阪紡績株式会社が設立されたのは、明治15年(1882)のことである。初代社長となった山辺丈夫が設立計画を策定し、渋沢栄一・藤田伝三郎・松本重太郎ら財界人がこれを支援した。

 

藤田伝三郎藤田組の創始者。明治維新後、陸軍用達業者となり、西南戦争で巨利を得て藤田組を設立。太湖汽船、大阪紡績、阪堺鉄道、山陽鉄道などの設立に参加。維新後の日本近代化に大きく貢献した。(『藤田伝三郎』より/国立国会図書館蔵)

 

 山辺丈夫は嘉永3年(1851)に石見国に誕生し、もともとは英学を修めていた。明治10年(1877)には、イギリスに渡航し経済学を学んでいたが、栄一の勧めによって機械工学に転じた。このとき栄一は丈夫に対して、1,500円(現在の貨幣価値で数千万円)もの研究費をポケットマネーで助成したという。 

 

 東洋紡株式会社の企業理念は、『順理則裕』である。順理とは、 理にしたが(順)って、なすべきことをすることを意味する。「則裕」とは、 順理を貫くことで世の中を豊かにし、自らも成長することである。

 

 この企業理念『順理則裕』は、東洋紡の創設に関わった渋沢栄一の座右の銘の一つでもあった。『順理則裕』は、北宋の儒学者 程頤(ていい)が提唱したもので、栄一の説いた「道徳と経済を一致させること」と見事にマッチしたのである。

 

 その後の大阪紡績株式会社は、ほかの紡績会社と合併を繰り返し、規模を拡大させていった。大正3年(1914)、三重紡績と合併して東洋紡績株式会社が設立された。昭和26年(1951)には、ニューヨークに事務所を設立した。

 

 同社は海外展開を図る一方、従来の繊維素材に依存することなく、新素材の開発にも取り組んだ。現在では、化成品、機能材、バイオ・メディカルなどの分野にも進出し、その売り上げが50%を超えるともいわれている。 

大阪紡績会社跡

大阪府大阪市大正区三軒家東2-12

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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