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有岡城の戦いが勃発した際、荒木村重に謀反を思いとどまるよう説得に向かった智将とは?

第0回「歴史人検定」練習問題③


織田信長から重臣のひとりとして信頼を置かれていた荒木村重が、反旗を翻した有岡城の戦い。この一戦で、村重の強い決意を読み取るべく、信長から一人の武将が派遣された。


Q.天正6年(1578)の有岡城の戦いが勃発した際、荒木村重に謀反を思いとどまるよう説得に向かったのは次のうち誰か?

 

1.赤松広英

2.赤松則房

3.小寺政職

4.黒田孝高

 

 

 天正6年(157810月、織田信長が信頼を置いていた伊丹・有岡城主の荒木村重が叛旗を翻した。村重は信長の重臣だったので、予想外のことだった。

 

 当初、信長は村重の母親を人質にすれば、この一件は水に流すとした。しかし、村重の気持ちは変わらなかった。弱った信長は、一度は朝廷を通して、本願寺との和睦を模索したほどである。

 

 村重に謀反の翻意をさせるべく、蜂須賀正勝らが送り込まれたが、結局交渉は失敗に終わった。村重の強い決意を読み取ることができよう。最後に信長から派遣されたのが、ほかならぬ黒田孝高(官兵衛)であった。この経緯を詳しく記しているのは、『黒田家譜』である。


兵庫県姫路市御国野町にある黒田官兵衛顕彰碑。官兵衛が仕えた小寺政職の居城・御着城跡に立てられている。

 『黒田家譜』によると、そもそも主君の小寺政職(こでらまさもと)が叛旗を翻すとの噂を聞きつけた官兵衛が翻意させるため、御着城(ごちゃくじょう・姫路市)に向ったのが始まりであった。政職は、村重が思い止まるならば、謀反を思い止まると答えたのである。実のところ、政職は信長に謀反をすることを決意していた。

 

 さらに、政職は村重に密使を送り、説得に向った官兵衛を暗殺するように依頼していた。政職と村重は、すでに繋がっていたのである。官兵衛は、そのことをまったく知らなかった。そこへ官兵衛が現れたので、村重に捕らえられ、幽閉されたというのである。

 

 官兵衛が村重に捕らえられるという最悪の事態を受けて、黒田家中は一致結束したことが知られる。その事実については、「黒田家文書」にある家臣の起請文によって確認することができる。

 

 全部で四通の起請文が残っているが、うち二通は宛先が「御本丸」になっている。二通の内容はほぼ同じであり、官兵衛が村重に捕らえれるという不慮の事態に際して、家臣は一致団結して「御本丸」に忠節を尽くすというものである。彼らは起請文を認(したた)め、一致団結したのである。

 

 有岡城が落城したのは、天正710月のことであった。一年近く幽閉されていた官兵衛は、膝の関節が曲がり、頭髪が抜けて禿頭になり、生涯回復しなかったという。大きな代償であった。

 

1211日(土)開催「歴史人検定 第0回」練習問題より

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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