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実は渋沢栄一が開業に関わっていた開拓使麦酒醸造所(現サッポロビール)

渋沢栄一の足跡


現在、日本中のみなさんが知っている、日本を代表するビールメーカー『サッポロビール』。渋沢栄一は生涯と通して様々な企業や事業にかかわってきたが、『サッポロビール』もそのひとつであった。


日本人の手によって本格的なドイツタイプのビールが造られた
いわゆる“日本のビール発祥の地”

開拓使麦酒醸造所現在、サッポロファクトリーとなり「札幌開拓使麦酒醸造所」はその一角で当時の製法にならったビール造りを続けている。

 明治2年(1869)7月、明治新政府は北海道開拓のため「開拓使」を設置し手事業を展開したが、その中にはビール醸造も含まれていた。実は、渋沢栄一は、ビール醸造事業にもかかわっていたのである。

 

 開拓使はビール醸造人・中川清兵衛を招いて、ビール醸造事業を開始した。中川は、日本人で最初の本場ドイツでビール醸造の修業をした人物として知られる。

 

 こうして、明治9年(1876)には開拓使麦酒醸造所が完成した。開拓使麦酒醸造所こそが、現在のサッポロビールの源流である。

 

 製造されたビールは、冷製「札幌ビール」と命名され、東京で翌年に販売された。「冷製」とは低温で発酵・熟成させたビールのことで、ドイツ醸造法によったものだ。

 

 明治15年(1882)3月に開拓使が廃止されると、開拓使麦酒醸造所は農商務省工務局の所管となり、さらに北海道庁に移管された。

 

 北海道庁の初代長官を務めた岩村通俊(1840~1915)は、北海道に本土から資本を導入するため、道庁所管の諸工場、農場を民間への払い下げ(または貸し下げ)を決定した。

 

 実業家の大倉喜八郎(1837~1928)は札幌麦酒醸造場の払下げを打診され、これを受諾。明治19年(1886)11月、「大倉組札幌麦酒醸造場」を発足したのである。

大倉喜八郎大倉財閥の創設者。大倉屋銃砲店を開業、戊辰戦争に際し官軍御用をつとめて巨利を得て、日本を代表する実業家に。帝国ホテルなども含め内外に多くの事業を展開し、大倉財閥を築いた。現在有名な「ホテルオークラ」は、大倉財閥の二代目である大倉喜七郎によって設立された。

 しかし翌年、大倉はビール事業をより確実なものにすべく、政財界に大きな影響力を及ぼしていた渋沢栄一、浅野財閥の浅野総一郎(1848~1930)らに事業を譲り渡した。

 

 明治20年(1887)12月、新会社「札幌麦酒会社」を設立し、大倉自身も経営に加わった。渋沢らが経営に関わり、札幌麦酒会社は発展する土台を確立したのである。

 

開拓使麦酒醸造所

北海道札幌市中央区北2条東4丁目

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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