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渋沢栄一が創立した“日本商工業の世論を結集する代表機関”東京商法会議所 ─青天を衝け ゆかりの地─


2024年を目途に発行される新一万円札の顔となる渋沢栄一。「民の繁栄が、国の繁栄につながる」という想いのもと、立ち上げたのが東京商工会議所だった。この渋沢栄一の教えは、現代に脈々と受け継がれ、多くの企業経営者に影響を与える。“日本資本主義の父”として大きな功績を残した渋沢栄一が創立した東京商工会議所はどんな場所・機関であったのかをここでは紹介する。


 

日本の近代商工業発展のシンボルである場所

東京商工会議所ビル現在、丸の内二重橋ビル(東京商工会議所ビル)は平成30年に完成したもの。日本のビジネスの中心地である東京・丸の内のど真ん中に立つ。

 明治11年(1878)、東京商法会議所(現・東京商工会議所)の設置が認可された。その初代会頭に就任したのは、ほかならない渋沢栄一である。

 

 商工会議所は自由会員制の公益経済団体であり、目的は商工業の改善・発展である。市など一定地区内の商工業者で組織されていた。 その源流をたどると、中世の「座」、江戸時代の「株仲間」などが該当する。

 

 東京商法会議所が設置される前年、渋沢栄一・益田孝(1848~1938)・福地源一郎(1841~1906)・大倉喜八郎(1837~1928)らの実業家が、伊藤博文、大隈重信の呼び掛けにより、東京商法会議所設立を出願した。その背景には、いかなる事情があったのだろうか。

 

 明治維新以後、日本は欧米の列強諸国に追いつくため、国策として富国強兵、殖産興業、文明開化を掲げていた。明治政府は江戸時代の長い鎖国政策によって、欧米諸国に立ち遅れた国力を増強しようと願っていたのである。

 

 当時、日本は前近代のシステムから資本主義制度に移行していく過程にあり、中でも産業経済の育成は必要不可欠の政策だった。こうした流れにより、欧米諸国の「商業会議所」の組織機構を参考にしつつ、東京商法会議所は設立されたのである。

 

 また、日本は開国時に結んだ不平等条約の改正に取り組み、殖産興業と自主独立を目指していた。しかし、諸外国からは、明治政府の主張は世論を論拠とした虚構にすぎず、日本には商工業関係者の意見を集約する代表機関がない、とまで言われた。

 

 東京商法会議所は、諸外国の懸念を払拭するだけの存在感を示した。明治42年(1909)には、栄一を団長とする渡米実業団を派遣したのである。

  

東京商法会議所

[住所]〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目2−2 丸の内二重橋ビル

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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