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仏師はつらいよ!名工の父、倅(せがれ)も名人…そんなワケはない!~二世政治家さん、ぜひ読んでね♡~

桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第8回


『歴史人』ファンの皆様、私、大阪の朝日放送アナウンサー・桂紗綾と申します。このコラムでは、落語を中心に“伝統芸能と歴史”について綴って参ります。どうぞよろしくお願い致します(第1回コラムはこちら)。普段、アナウンサーとして働いている私ですが、もう一つの肩書が社会人落語家です。30歳を過ぎた頃からのめり込み、気付けば自分でも高座に上がるようになりました。落語は戦国時代から続く(諸説あり)話芸であり、民衆にも親しまれ、時代を反映した大衆芸能です。その他の伝統芸能(講談や浪曲・文楽・歌舞伎等)にも影響を受け、もちろん歴史とは切っても切れない関係なのです。


 

『歴史人』11月号の大特集は「日本の仏像 基本の“き”」で、仏像の見方を徹底解説しています。落語にも仏像が登場する噺はあります。しかも、お寺で祀られるような立派なものだけでなく、市民が個人で所持していた小さくて簡素な仏像もよく出てきます。

 

江戸時代の仏像百科事典「諸宗仏像図彙(しょしゅうぶつぞうずい)」古来から日本では仏像は多くの人を集め、信仰するとともに、鑑賞することにも魅力を感じさせていた。上載の書物は江戸時代に土佐秀信によってまとめられた仏像の百科事典で、仏像の点数はなんと800を超えているという。明治に復刻版が出版され、大正、昭和、平成と時代を経ても売れ続けているベストセラーである。(国立国会図書館蔵)

 例えば『井戸の茶碗』は、心優しい紙屑屋が清貧の浪人から仏像を買い受けるところから始まります。『打飼盗人(夏泥・仏師屋盗人)』では、仏師屋の家に盗みに入った泥棒が逆にやり込められちゃう。『大仏餅』というネタ前に話す小噺は、奈良の大仏様の目が外れ、腹の中に落ちてしまったのですが、身軽な子供がするする登って目の穴から中に入り、落ちた目玉を拾ってきて元の穴にすぽっとハメる。参拝客達が「大仏様は直ったけど、あの子が閉じ込められてしもたがな!」と心配していると、子供は鼻の穴からする~んと出てくる。ここから機転の利く人のことを「目から鼻へ抜ける」と言うようになった…なんていうことは、ゼッタイ他所では言わんようにして下さいね(笑)

 

 落語とは市井の人々の暮らしを描いた話芸ですから、このような噺から当時の人々の信心深さや、仏像が今よりもっと身近な存在だったことが伺えます。

  

 さて、平安時代に活躍した日本仏師史上屈指の名工である定朝は平等院鳳凰堂の阿弥陀如来(あみだにょらい)像を造り、工房の設立や職人の養成にも尽力しました。多くの弟子を持ち、彼らはその後、円派・院派・慶派と名乗ります。東大寺南大門にある金剛力士像は皆さんご存知、慶派の運慶・快慶の作品で、運慶の父・康慶も同様に有名仏師でした。造像技術は伝統工芸、師匠から弟子へ、親から子へ、受け継がれるものだったのです。

 

毘沙門天立像 右肘を強く張ったポーズは運慶作の静岡・願成就院(がんじょうじゅいん)の毘沙門天像を想起させ、力強い作風からも慶派の流れをくむ仏師の作と考えられる。(奈良国立博物館蔵/出典:Colbase)

 江戸時代に実在した名工が父亡き後、開眼する物語を描いた落語が『浜野矩随(はまののりゆき)』。父親が浜野矩康という有名な腰元彫(刀剣の細工作りの職人)でしたが、お酒好きがたたり、若くして亡くなってしまう。遺されたのは一人息子の矩随。父とは正反対で全く上手く彫ることが出来ない。父の弟子や御贔屓(ごひいき)連中も愛想を尽かし去っていく。母と二人、裏長屋でひっそり暮らしております。

 

 父に世話になった義理で、骨董屋の若狭屋甚兵衛だけが彼の不器用な作品を一分の金(今で言うと、親子二人が半月程食べていける金額)でいつも買い取ってくれる。

 

 ある日、馬を彫り持参したところ脚が三本しかなく、耐えかねた若狭屋は五両という大金を渡し、「お前は一分を貰うために彫っているのか、それでは上手くなるはずもない。おとっつぁんの顔に泥を塗る気か。死んでおとっつぁんに会って詫びてこい。この金を持って帰れ、二度と来ないでおくれ」と冷たく突き放します。

 

 家に帰り、死んで父に詫びることを告げると、母は「お前がそう決めたならそうすると良い。その前に一つお願いがある」と、形見に観音様を彫るよう頼みます。覚悟を決めた矩随は、飲まず食わず一生懸命に彫り続けた。睡魔が襲うと母が唱える観音経に耳を傾け、またノミを入れる。コツコツコツコツ…七日目の朝、実に見事な観音像が出来上がりました。母は「これを持って、もう一度若狭屋さんに行きなさい。値段は二十両だと言うのですよ」と促します。ご苦労様、と茶碗に汲んだ井戸水を飲ませ、矩随が残した水を自らも飲み、息子を送り出す。

 

 精魂込めて彫った観音像を見た若狭屋は父のものだと勘違いし、二十両を差し出します。矩随の作品であることを説明すると若狭屋は大いに喜びますが、母とのやり取りを伝えるうちに見る見る顔色が変わり、「茶碗で水を飲み交わし!?それは親子別れの水盃じゃないか!!」母は自分の命と引き換えに、息子に父のような名人になってもらうため祈っていたのです。矩随は駆け出す。「おっかさん!!おっかさーーーーーん!!!!」………。

 

観音菩薩立像写真の観音様は京都・清和院に伝来したもの。豊かな量感表現や優れた刀法は平安初期彫刻の優れた特色がよく表れている。(九州国立博物館蔵/出典:Colbase)

 この続きはどうなるのか…ああ、ちょうど文字数制限がきてしまいました。続きは是非演芸場でどうぞ。きっと、伝統の中で己の作品を生み出す苦しみを抱えた職人の喜びや哀しみ、親子の情愛が感じられる素晴らしい噺に出逢えるはずです。

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桂 紗綾()
桂 紗綾

ABCアナウンサー。2008年入社。女子アナという枠に納まりきらない言動や笑いのためならどんな事にでも挑む姿勢が幅広い年齢層の支持を得ている。演芸番組をきっかけに落語に傾倒。高座にも上がり、第十回社会人落語日本一決定戦で市長賞受賞。『朝も早よから桂紗綾です』(毎週金曜4:506:30)に出演。和歌山県みなべ町出身、ふるさと大使を務める。

 

『朝も早よから桂紗綾です』 https://www.abc1008.com/asamo/
※毎月第2金曜日は、番組内コーナー「朝も早よから歴史人」に歴史人編集長が出演中。

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