『死神』は反面教師!落語に学ぶ失敗と教訓
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第5回
『歴史人』ファンの皆様、私、大阪の朝日放送アナウンサー・桂紗綾と申します。このコラムでは、落語を中心に“伝統芸能と歴史”について綴って参ります。どうぞよろしくお願い致します(第1回コラムはこちら)。普段、アナウンサーとして働いている私ですが、もう一つの肩書が社会人落語家です。30歳を過ぎた頃からのめり込み、気付けば自分でも高座に上がるようになりました。落語は戦国時代から続く(諸説あり)話芸であり、民衆にも親しまれ、時代を反映した大衆芸能です。その他の伝統芸能(講談や浪曲・文楽・歌舞伎等)にも影響を受け、もちろん歴史とは切っても切れない関係なのです。
6月に歌手・米津玄師さんの『死神』というミュージックビデオがYouTubeで公開され大きな話題を呼びました。落語のネタ『死神』がモチーフで、東京の寄席小屋・末廣亭の高座で米津さんが歌っている動画です。今を時めく米津さんをきっかけに、落語の『死神』に興味を持った方も少なくありません。

新宿3丁目にある新宿末廣亭。 写真/彩玲(photolibrary)
実はこの噺、グリム童話が原案なのです。明治二十年代、大名人・三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)がグリム童話『死神の名付け親』を落語に変換しました。アイデア提供者は幕末から明治にかけて活躍した外国通の政論家で劇作家の福地源一郎桜痴(ふくちげんいちろうおうち)。福地は福沢諭吉と共に通訳として江戸幕府に登用され、外交使節団として欧州訪問した際、グリム兄弟の兄ヤーコブと出会っています。その福地から圓朝は『死神の名付け親』を落語にすることを提案されました。他にも圓朝は政界や経済界のお座敷で落語を披露していたことから、政治家の陸奥宗光(むつむねみつ)や日本資本主義の父・渋沢栄一とも随分親しくしていました。特に渋沢は古い落語本に寄稿文を書く程落語好きで、圓朝のことを「話しぶりも実に上品」「感銘も深かった」「人間が出来ていたし、人情の機微に通ずることも深く」と表現し、大ファンであったことがうかがえます。

日本資本主義の父・渋沢栄一/国会図書館蔵
圓朝作『死神』のあらすじは…借金ばかりの男の前に死神が現れ、「お前とは深い因縁があるから」と金儲けの方法を教えます。それは、呪文を唱え病人の足元に憑いている死神を消し去るというもの。ただし、死神が病人の枕元にいる時は手出し禁止。呪文は「あじゃらかもくれん てけれっつのぱぁ」。言われた通り医者の看板を掲げるや否やあちこちの病家に呼ばれ、呪文を唱えるだけで大儲け。しかし、根が不真面目な男、稼いだお金で遊び呆け、あっという間にすっからかん。再び医者の看板をあげると、今度はどこに行っても死神は枕元。ある大家で、男は屈強な使用人に指示を出します。男の合図で一斉に布団の端を持ち半回転させ(頭と足の位置を逆転させる)、その瞬間に呪文を唱えれば死神は消えるという算段。果たして作戦は成功し、男は莫大な報酬を手にします。翌日、死神が現れ、男を無理矢理地下の洞窟へと連れて行く。そこには何万もの火が灯った蝋燭(ろうそく)。一本一本が人間の寿命なのです。死神は今にも消えそうな一本の蝋燭を見せ、「これはお前の蝋燭だ、お前は病人と自分の寿命を入れ替えたのだ」と説明します。驚いた男が助けを乞うと、別の蝋燭に火を移すことが出来れば助かると言われ、急ぎ震える手で蝋燭を掴むも…火は消えてしまうのでした。
『死神』は昭和末頃から平成初期に大変人気を博し、今なお多くの噺家さんが高座にかけています。サゲ(オチ)も様々なパターンがあり、失敗型だけでなく、夢オチ、火が移る成功型、成功したのに誤って消してしまう等、それぞれに個性が光るネタです。しかし、演じられる内の圧倒的大多数が、圓朝が創った失敗型なのです。
「お金が欲しい」「死から逃れたい」欲望まみれの男は、まるで理性で蓋をしている自分の心の奥底を映したよう。そんな男が火付けに失敗するサゲに、観客は息を吞みます。一瞬の静寂が訪れ、拍手喝采。〝落語は業の肯定〟という言葉がありますが、『死神』は〝業に振り回される人間の末路〟を描いたものです。生とお金への執着こそ人間の業。明治に誕生した『死神』が令和の現代でも多くの人を魅了するのは、人間の本質が変わらない証。男の失敗が反面教師となり、人は今日も欲望を理性で蓋をしながら生きているのです。