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戦争と演芸界② ~詮方なく国策に傾いた芸能~

桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第2回


『歴史人』ファンの皆様、私、大阪の朝日放送アナウンサー・桂紗綾と申します。このコラムでは、落語を中心に“伝統芸能と歴史”について綴って参ります。どうぞよろしくお願い致します(第1回コラムはこちら)。普段、アナウンサーとして働いている私ですが、もう一つの肩書が社会人落語家です。30歳を過ぎた頃からのめり込み、気付けば自分でも高座に上がるようになりました。落語は戦国時代から続く(諸説あり)話芸であり、民衆にも親しまれ、時代を反映した大衆芸能です。その他の伝統芸能(講談や浪曲・文楽・歌舞伎等)にも影響を受け、もちろん歴史とは切っても切れない関係なのです。


 

“銃後の暮らしの模範”として改作された国策落語

 

 戦時中の“禁演落語”の対となる存在が“国策落語”や“愛国浪曲”です。満州事変以降、映画や音楽、演劇、ラジオ放送等、多くの娯楽が戦争遂行へのプロパガンダと化しました。演芸界でも落語・講談・浪曲・漫才で戦意高揚のための作品が次々と創られていったのです。

靖国神社にある「爆弾三勇士」のレリーフ。写真:skipinof / PIXTA

 当時、特に浪曲は人気で、落語・講談をも凌ぐ勢いでした。最大で三千人もの浪曲師がいたと記録されています(現在は全国で70人程度)。大正時代の長者番付ではトップ3が浪曲師だったことも。節と啖呵(たんか)で構成され、日本人の義理人情をとうとうと謳い上げる浪曲は、国民心理へ訴えかけるのに非常に有効的だったと推察出来ます。

 

 1932年の上海事変で敵陣を突破するために自爆した3人の日本兵が国民的英雄と崇められた“爆弾三勇士”は映画や軍歌がこぞって取り上げていますが、浪曲でも『肉弾三勇士』という題で描かれました。美談を浪曲に。後に作られる“愛国浪曲”の芽が出始めました。忠君愛国・滅私奉公という当局に都合の良い精神論が文化を通じて伝えられていくのです。

 

 戦果を挙げ勢いに乗る日本は1940年5月27日、内閣情報局に浪曲向上委員会を結成。情報局指導の下、菊池寛や尾崎士郎、吉川英治といった有名作家が浪曲の台本を手掛け、『神風連』『シンガポールの白梅』『傷痍』等、多くの“愛国浪曲”が誕生しました。

 

 一方、落語は人々の日常を切り取った芸能。滑稽な登場人物たちにより、親しみや愛おしさを産む芸だからこそ聴衆は共感して笑う。それが戦争賛美のための“国策落語”に変容するとは…今では考えられません。しかし、実際には『となり組』『スパイ御用心』『黄金動員』等、数えきれない国策落語が創られ高座や雑誌で披露されました。市民の生活をユーモラスに表現する落語に課せられた役割は、“銃後の暮らしの模範”。

 

 国策落語の一つに、古典落語の名作『芝浜』の改作『新芝浜』があります。本来の『芝浜』は、酒ばかり飲んで仕事に出ない魚屋の勝五郎が、女房にたたき起こされ渋々出かけた芝の浜辺で皮財布を拾うと、中には四十二両の大金! 飲めや歌えのどんちゃん騒ぎで翌朝、女房に「そんな財布は無い、全部夢だ」と言われ、心を入れ替えます。酒を断ち懸命に働き、自分の店まで持つようになった三年後の大晦日、女房が「あれは嘘だった」と謝りますが、勝五郎は今の自分があるのはあの嘘のおかげだと感謝をするという人情噺です。

 

 国策落語に変身した『新芝浜』は、軍需景気で勝五郎に大金が入り、酒を飲んで寝た後、女房に「酔って喧嘩をして金は失くした」と言われ、心を入れ替えます。酒を断ち懸命に働き、三年目のある日、「軍隊に大金を献金した」と勝五郎を讃える新聞記事を目にすると、女房から「あれは嘘だった、あの金で報国債券を買うと懸賞金が当たったので献金をした」と告白されるという噺。落語ファンにとっては衝撃の展開だし、こんな風に落語が利用されたことに憤りさえ感じます。

戦時報国債券 新・旧おもて10円。写真/kaztima / PIXTA

 しかし、禁演落語も同様で、愛国浪曲や国策落語を創り演じなければ当局に睨まれ高座に上がることも出来なかった当時を想うと胸が痛みます。国策落語は、戦争の愚かさが文化を衰退させるだけでなく、文化を戦争に加担させてしまった悲しい証拠なのです。

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桂 紗綾()
桂 紗綾

ABCアナウンサー。2008年入社。女子アナという枠に納まりきらない言動や笑いのためならどんな事にでも挑む姿勢が幅広い年齢層の支持を得ている。演芸番組をきっかけに落語に傾倒。高座にも上がり、第十回社会人落語日本一決定戦で市長賞受賞。『朝も早よから桂紗綾です』(毎週金曜4:506:30)に出演。和歌山県みなべ町出身、ふるさと大使を務める。

 

『朝も早よから桂紗綾です』 https://www.abc1008.com/asamo/
※毎月第2金曜日は、番組内コーナー「朝も早よから歴史人」に歴史人編集長が出演中。

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