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キスカ島での一年を迎える寸前、アッツ島からもたらされた驚愕の知らせとは?

太平洋戦争の奇跡! キスカ島撤退作戦  第5回

キスカ島攻略のために同島に上陸した海軍陸戦隊。この写真の画角からは外れているが、小野内氏も旭日旗の後方に居合わせたことを覚えていた。上陸に際して戦闘は起こっていない、いわゆる無血占領であった。

 

 小野打(おのうち)が所属する海軍陸戦隊が占領したキスカ島というのは、アリューシャン列島のアムチトカ島とアッツ島の中間くらいに位置するY字のような形をした島だ。先端には標高1221mのキスカ富士が聳(そび)えている。山からの雪解け水が低地に溜まり湖沼を形成。その水は澄んでいて、そのままで飲用に適した。陸戦隊が米軍の測候所を占拠した際、倉庫にあった大量のジャガイモと玉ねぎを接収。これが将兵の空腹を満たしてくれた。

 

 冬の厳しさは想像を絶するもので、暴風が吹き荒れ吹雪になると、一歩も動くことができないという。短い夏は深い霧が発生し、太陽を拝める日は数えるほどしかない。まさに地球上で、これ以上劣悪な地はないという島だ。戦略的価値のないこの島を占領したのは、開戦以来海上哨戒(しょうかい)任務に甘んじていた、海軍の北方部隊の功名欲しさだったということを、小野打らは後になり知ったのである。

 

 当初、越冬はしない予定と聞いていたが、設営隊が昼夜兼行でさまざまな工事を行ったことで、兵舎は2週間で完成。水道設備や発電設備の工事も終了した。こうして完全に長期駐留の態勢が整えられたのである。

 

 だが上陸から3日目には敵の偵察機が飛来し、日本軍に島が占領されたことが知られてしまう。それ以来、毎日のようにB17や飛行艇がやって来て、爆弾を投下するようになった。それは日を追うごとに回数が増えていったのである。上陸して20日ほど経った日の夕暮れ時には、米艦隊からの艦砲射撃にも見舞われた。そのため敵の上陸に備えて、しばらくの間は第一警戒配備が敷かれたが、艦隊が去ったことで配備は解除されている。

 

 その後は島に敵艦隊が近づくことはなくなったが、空襲が頻繁に行われるようになる。B17爆撃機から投下される爆弾の被害はたいしたことがなかったが、戦闘爆撃機のロッキードP38が繰り出す機関砲は恐ろしかった。キスカ湾に停泊していた輸送船は、P38の銃撃と爆弾により沈没するケースも出てきた。おかげで入港せずに引き返す船もあり、次第に守備隊の物資が枯渇してしまう。

 

 とくに高射砲は空襲が増えるごとに弾丸の消費が多くなり、弾道を正確にするための螺旋が摩耗してしまったほどだ。また海軍は当初5機の水上用戦闘機を所有していたが、空中戦や爆撃により残り1機となっていた。そんな虎の子の飛行機も、隣のアムチトカ島に建設された米軍飛行場を偵察に出たまま、遂に帰還することがなかった。

 

 アメリカ軍からの一方的な攻撃に耐え続けて、1年近くが経過した昭和18年(1943)5月121330分。衝撃的な電報がキスカ島通信隊に飛び込んできた。

 

 アッツ島派遣通信隊と交信していた越野一水が、

 

「当直下士官、サキ受信!」

 

 と、大声で叫ぶ。その瞬間、電信室内に居合わせた者の目が、一斉に彼に注がれた。当直下士官の一等兵曹は、受信紙をひったくるようにして受け取ると、隣りの暗号室へ飛び込んだ。サキというのは作戦緊急電報の略語で、最優先の処理案件とされている。

 

 その知らせは、有力な米軍部隊がアッツ島に上陸したというものだった。その後も越野一水は次々に入電してくる電報を受信し、傍に立つ当直下士官が受け取るとすぐ、暗号室を往復していた。

 

「一三三〇、米軍旭湾に上陸」

 

「旭湾、艦船三十七隻、西浦二十九隻」

 

「有力な米軍続々と上陸中」

 

 このような電報が、平文で入ってきた。暗号にしている余裕がないのだ。これらは通信長の命令により、千島列島の幌筵島(ぱらむしるとう)に置かれていた通信隊を経由し、占守島(しゅむしゅとう)片岡湾に在泊中の第五艦隊に急報された。

 

 その間に、アッツ島から第4電が入る。発信者は第五艦隊参謀の江本少佐である。少佐は直前に、アッツ島で完成目前になっていた飛行場の視察に赴いていたのだ。その派遣随行には当初、小野打も候補となっていた。

 

 だがアメリカ海軍の電波傍受という仕事に就いていたため、外信傍受の解読に当たっていた横井少尉が、小野打が異動しないように懇願してくれたのだ。そのため同年兵であった堀江兵長が小野打の代わりに、アッツ島へ赴いていたのである。

 

 アッツ島の海軍部隊を指揮することになった江本少佐からの電報によると、5月12日は早朝からアッツ島の沿岸陣地に対し、アメリカ軍の激しい爆撃が加えられた。ついで1000から北海湾西浦岬、1030には旭湾に主力の上陸が敢行された。いずれも日本側の守備が手薄な場所である。次いで1050頃より濃霧の中、艦砲射撃が開始されたというのだ。対して日本軍の地区隊が、激しい反撃を加えている模様だと知れた。

 

 以上の報告を受け、キスカ島の部隊もアメリカ軍の上陸を予測。第一警戒配備が発令された。艦砲射撃を受けた際にも出されたものだが、これから予想される戦闘に備え、全員が配置につくことである。電信室も例外ではなく、予備の受信機にも人員が配置された。

 

ダッジハーバーの米軍基地へ空襲に向かう海軍の九六式陸上攻撃機。作戦当初は航空戦力の支援もあったが、キスカ島から100kmしか離れていないアムチトカ島に米軍飛行場が完成すると、制空権は完全に奪われた。

 

※文中の敬称略

小野打数重氏ご本人への取材と、氏から提供して頂いた数多くの資料、著作を元に構成させて頂きました。文中の日付は小野打氏の記憶を元にしているため、記録されているものと差異がある場合もあります。地名は当時の日本軍が名付けたものです。人名の一部は仮名です。

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過去記事

野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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