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アリューシャン作戦始動!特別陸戦隊配属の小野打はキスカ島に上陸!!

太平洋戦争の奇跡! キスカ島撤退作戦  第4回

バリクパパンから帰還し、舞鶴第三特別陸戦隊通信隊付きとなった小野打氏(右)。小学校時代からの親友、木村直次氏が海兵団主計科にいたので再会を果たす。これは外出許可が出た日、写真館で記念写真を撮影。

 

 開戦直後にボルネオのバリクパパンに進駐した小野打(おのうち)は、昭和17年(1942)4月には転属の命が下り、4月20日にバリクパパンを出港する白山丸に便乗、日本に向かった。5月5日には台湾の高雄に寄港。ここで1週間かけ船室から通路にまで砂糖を積んだ。何でも内地の3カ月分の配給を賄う量らしい。

 

 砂糖の香りが充満する船は、5月15日に富山県の伏木港に入った。ここで積み荷を降ろし、舞鶴港へは5月20日に入港。午後に下船すると、海兵団の基地に入った。ここで小野打は正式な配属先を知らされた。編成中の、舞鶴第三特別陸戦隊通信隊である。電信関係者が20人ほどの、小さな隊であった。そこには通信学校の同期生、越野の姿もあった。

 

 小野打は5月1日付で二等水兵に進級。隊には一期下で志願兵の三等水兵が3人配属されていたので、最下級の兵ではなくなっていた。21日朝から正式の勤務に就いたが、海兵団主計科には小学校時代からの親友、木村直次がいることがわかった。

 

 その日の夕食後から外出許可が出たので、さっそく木村と一緒に出かけた。外泊も許可されたので、木村とともに舞鶴市内の写真館で記念写真を撮影。その後、彼の下宿に行き、再会を祝した。

 

 5月26日には両親が面会にやって来た。この日に最後の外泊が許可された小野打は、父母が待つ旅館に向かった。南方から出した葉書は父母の許には届いておらず、居場所はおろか生死すらわからず心配したらしい。

 

 丸1年ぶりに両親と会ったのだが、すぐに出港だったので女を抱きたくて仕方がなくなり、木村の下宿に行くと偽り遊郭へと走った。夜明け頃に再び旅館に帰ると両親に別れを告げ、朝食前に海兵団に戻る。

 

 今度の隊も、どこへ向かうのか分からなかった。ただ支給された衣類や装備を見ると、北方に行くらしいと想像できた。だがそうした事は、身内にも話せない。両親にはそれとなく、近いうちに再び輸送船に乗ることになりそうだ、とだけ話した。

 

 その日、海兵団に帰ると輸送船球磨川丸(くまがわまる)へ装備を積み込んだ。そして夕刻になると、船は静かに舞鶴港を後にする。今度の船は貨物船だったので、船倉にゴザを敷いてそこで寝食をとることとなった。5月28日の朝、甲板に出てみるともやの向こうに山が霞んでいた。

 

 やがて船は輸送船のほかに巡洋艦や駆逐艦が停泊している青森の大湊に入港。ここで船団を組んで、目的地へ向かうらしい。その様子を見ると、大きな作戦が行われるようだ。

 

 翌日は朝から上陸訓練が行われた。そして5月30日早朝、何隻もの輸送船とそれを警護する巡洋艦や駆逐艦が船団を組み、大湊を出港して陸奥湾から太平洋へと向かった。この時点でも、どこへ向かうか知らされない。

 

 船団が太平洋に出て、北への進路をとると、通信長から初めて行き先が告示された。

 

「今回の作戦はアリューシャン列島のキスカ島、アッツ島を攻略することである。海軍はキスカ島、陸軍がアッツ島を占領する」

 

 通信長の「諸君の奮闘を望む」という言葉が終わるか終わらないかのうちに、どよめきの声が上がった。「やはり寒い所なんだ」と思った。その後、アリューシャン列島についての説明があった。さらに占領した後は、冬になる前に放棄して引き揚げる、という方針も告げられたのだ。島を守っている敵がどれくらいの兵力なのか、情報はないようだ。行ってみなければ分からないのである。

 

 船団は厚岸に入港し、補給を行った。これが日本での最後の寄港であった。その後も北上を続ける部隊に6月6日、驚くべき情報が入った。連動作戦とされていたミッドウェー攻略が失敗。開戦以来、無敵を誇っていた我が空母機動部隊が全滅したというのだ。

 

 このため、アリューシャン攻略作戦も一時取り止めるという情報が流れた。それ以上のことはわからないが、それまで順調に進んでいた戦争で、初めて大きな損害を被ったことだけは確かなようだ。落ち着かない時間を過ごしていると、別働の空母部隊による攻撃が成功した、という情報が伝えられた。後にこれは6月3日早朝、空母龍驤(りゅうじょう)の攻撃隊がダッジハーバーのアメリカ海軍基地を空襲。翌4日にも再度空襲を行い、基地内外に多大な被害をもたらしたものと判明した。

 

 その結果、海軍部隊は6月7日にキスカ島へ上陸を決行。輸送船は、あらかじめ潜水艦の偵察によって決められた上陸地点の沖で停止した。司令を先頭に大発に移乗し、上陸地点を目指した。まったくの無血上陸であった。

 

 司令の後ろには軍艦旗を持った兵がいて、電信機を背負った小野打はその兵の横に立っていた。司令が副官に「上陸成功と打電せよ」と命じた。副官は電信長に「送信」と令した。小野打が電信機を下ろすと、電信長が自らレシーバーを付け、電鍵を持ちカタカタと打った。「送信しました」と司令に報告した電信長の顔は、満足そうだった。その後、海岸にあったアメリカ軍電信所を占領する。

 

 後に分かったことだが、キスカ島には気象通報任務のアメリカ兵が10人ほどいただけであった。彼らは日本軍が上陸して来ると、電信所を放棄して島の奥へ逃走。洞窟に潜んでいたのだが、数日後に全員が投降してきた。

 

 この勝利は、アメリカがこの島に何ら防衛処置をしていなかったからだ。日本軍が精強だからではない、と小野打は痛感していた。

荒れる北方の海を進む、アリューシャン攻略艦隊。アメリカとソ連の連絡を遮断するとともに、ミッドウェー島攻略を背後から援護する目的であった。アメリカにとっては自国領土が初めて占領された、という記録を残した。

※文中の敬称略。

小野打数重氏ご本人への取材と、氏から提供して頂いた数多くの資料、著作を元に構成させて頂きました。文中の日付は小野打氏の記憶を元にしているため、記録されているものと差異がある場合もあります。

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野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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