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渋沢栄一幼少期の思い出の地「諏訪神社」 ─青天を衝け ゆかりの地─


渋沢栄一は日本の近代化に経済面で大きく貢献し、東京を中心に活躍した人物だが、ふるさと・深谷市血洗島も大切にした。その血洗島の鎮守である諏訪神社は栄一にとっても大事な場所であり、子供のころ、祭りで獅子舞を舞ったり、近所の仲間たちと飛び回っていたという。今回は渋沢栄一ゆかりの地として「諏訪神社」を紹介する。


栄一幼少期の思い出の地
近所の仲間たちと遊び、祭りで賑わいだ
故郷の愛するべき神社

諏訪神社

血洗島と諏訪神社血洗島は栄一が育ったころとかわらず、今も田畑がひろがるのどかな場所である。

 諏訪神社は渋沢栄一が誕生した埼玉県深谷市血洗島の鎮守であり、栄一の生家「中の家」の近隣に位置する。まだ栄一が幼い頃、諏訪神社の境内で遊んだのは想像に難くない。

 

 諏訪神社はその名が示すとおり、長野県諏訪市の諏訪神社を勧請したものだろう。ただ、誠に残念ながら、創建された年などはわかっていない。祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)である。

 

 平安末期の武将・岡部忠澄(?~1197)は、源平争乱時に源頼朝に従って各地を転戦していた。出陣の際、忠澄は諏訪神社に戦勝祈願を行ったと伝わる。

 

 その甲斐があって、忠澄は寿永3年(1184)の一ノ谷の戦で平忠度(清盛の異母弟)と組み打ちとなり、見事に討ち取った。しかし、忠澄はその時点で斬ったのが忠度であることを知らなかった。

 

 その後、忠度を討ったことを知った忠澄は、惜しい人物を斬ってしまったと後悔したという。このエピソードは、『平家物語』に載せるものである。

普済寺

深谷市・普済寺源平合戦のなかでも、重要な合戦のひとつとなった一ノ谷の戦いで功績をあげた岡部忠澄。平家滅亡後は源頼朝に従い、奥州合戦や頼朝の上洛にも従軍。故郷・深谷市の普済寺隣りの公園の墓所に眠る。

 大正5年(1916)、栄一は諏訪神社の拝殿を寄進した。栄一は血洗島に帰郷すると、いの一番に諏訪神社を参拝した。また、秋の例祭に催される獅子舞鑑賞を楽しみにし、祭りの参加を欠かさなかったという。

 

 栄一の喜寿を祝って、諏訪神社の境内には氏子中の拠金により「渋沢青淵翁喜寿碑」が建てられた。 栄一が郷土の人々に愛された所以である。

 

 なお、碑文は徳川慶久(1884~1922:慶喜の七男)の題額、萩野由之(1806~1924:東京帝国大学名誉教授)の撰、阪正臣(1855~1931:歌人、書家)の書に拠るものである。

諏訪神社本殿

諏訪神社本殿

諏訪神社

埼玉県深谷市血洗島117

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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