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渋沢栄一が撤去の危機から守った国の文化財「西ヶ原一里塚」 ─青天を衝け ゆかりの地─


約500もの企業に貢献した渋沢栄一は文化財保護にも尽力した側面があったことを忘れてはならない。「道徳経済合一主義」の精神に基づき、様々な場で活躍をした栄一が現在にも残した歴史の遺物を今こうしてみることができる。


 

日本経済の発展だけではなく文化財保護にも

貢献した栄一が残した国の指定史跡

西ヶ原一里塚

西ヶ原一里塚江戸の日本橋から日光まで続く「日光御成道」の二里目の一里塚で、明治以降開発が進んだ都内では貴重なもの。

 東京都北区西ヶ原には、西ヶ原一里塚がある。西ヶ原一里塚は江戸・日本橋(東京都中央区)から日光(栃木県日光市)まで続く日光御成道の道中に設置され、日本橋から2里目にあたる一里塚である。

 

 都内に残る江戸時代の一里塚は乏しく、その貴重さから国の史跡に指定された。西ヶ原一里塚の保存運動には、渋沢栄一の尽力があったことを忘れてはならない。

 

 西ヶ原一里塚が国の史跡になったのは、大正11年(1922)3月8日のことである。その背景には、王子電気軌道(王電=現在の都電荒川線)の路線延長にともない、道路改修工事が予定されていることにあった。

 

都電荒川線

現在の都電荒川線1960年代の交通渋滞深刻化への対策で開線。現在も都内の重要な交通機関として機能している。

 

 工事のため、進路上にある西ヶ原一里塚も撤去されることになった。その際、西ヶ原一里塚を残すべく運動をしたのが、実業家の渋沢栄一、滝野川町長・野木隆歓、そして周辺に住む地元住民だった。

 

 渋沢栄一と古河財閥の古河虎之助[ふるかわとらのすけ](1887~1940)が多額の寄付をして、西ヶ原一里塚周辺の土地600坪を購入し、その土地を東京府に寄付した。栄一の奔走は、見事に結実したのである。

古河市兵衛

古河虎之助の父・古河市兵衛古河財閥創始者で、渋沢栄一とともに明治以後の日本経済の発展に貢献。多くの鉱山を経営し「鉱山王」と称された。(国立国会図書館蔵)

 こうして西ヶ原一里塚は飛鳥山公園の附属地として、保存することが決定した。「西ヶ原一里塚二本榎保存之碑」は、江戸城虎の門の石垣を再生した石を活用したものである。

 

 日光御成道の1里目の塚は、本郷追分(東京都文京区本郷)に、3里目の稲付一里塚(東京都北区赤羽西2丁目)は、いずれも撤去されてしまった。

 

 栄一は企業活動だけに熱心に取り組んだのではなく、文化財の保護に尽力したことを決して忘れてはならないだろう。

西ヶ原一里塚

[住所]東京都北区西ヶ原2-4-2先

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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