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【青天を衝け】フランス帰りの渋沢栄一は東京で父と再会していた


9月12日(日)放送の第26回は、日本に帰国した渋沢篤太夫(=栄一、吉沢亮)が、故郷の血洗島(ちあらいじま)に帰省する場面から始まる。維新を経た故国で、大きく変わったもの、あるいは変わらなかったものを目にした篤太夫は、自分の貫くべき新たな生き方を確信していた。


 

喜びと悲しみに満ちた6年ぶりの帰郷

埼玉県深谷市にある尾高惇忠の生家。水戸学に精通した惇忠は、篤太夫や成一郎に尊皇攘夷の重要性を説いた。惇忠らによる高崎城の乗っ取りは、この生家の二階で計画されたという。

 

 篤太夫は6年ぶりに帰郷した。維新の影響は故郷にも及んでいる。その付近を治めていた岡部藩がすでに消滅していたのである。

 

 大きく変わり果てた国内だったが、実家のある風景は変わらぬ姿をとどめており、篤太夫は安堵するのだった。

 

 妻や愛娘をはじめ、懐かしい顔ぶれに心を和ます篤太夫は、その中で尾高長七郎(ちょうしちろう/満島真之介)が死んだことを知らされる。

 

 尾高家を見舞った篤太夫は、尾高惇忠(あつただ/田辺誠一)と遭遇した。しかし、幕末に何の功も立てられずにおめおめと生き残ってしまった後ろめたさから、惇忠は目も合わさず篤太夫を避けようとする。そんな惇忠に篤太夫は言う。

 

「パリまで行ってようやく分かったんだ。銃や剣を手に戦をするんじゃねぇ。畑を耕し、藍を売り、歌を詠み、皆で働いて励むことこそが俺の戦い方だったんだ」

 

 この恥を胸に刻んで……いま一度、前に進みたい。そう言って泣き崩れる篤太夫に、惇忠は胸を熱くするのだった。

 

 故郷に帰ってからまもなく、今度は、主君と仰いだ徳川慶喜(草彅剛)と会うため、篤太夫は駿府へと向かった。駿府で謹慎を続ける、久しぶりの主君との邂逅に、篤太夫はまず言った。

 

「なぜこうなってしまわれたのか……」

 

 しかし慶喜は答えない。それよりも留学の話を聞かせて欲しいと催促する。それを受け、身振り手振りを使って生き生きと、そして楽しげにフランスでの出来事を語る篤太夫に、物憂げだった慶喜の表情は次第に和らいでいく。

 

 労をねぎらい、立ち去ろうとする慶喜に、深々と頭を下げた篤太夫は、真にかけたい言葉を飲み込んで一言だけ伝えた。

 

「どんなにご無念だったことでございましょう」

 

 背中で言葉を受けた慶喜は、振り返ることなく、静かに立ち去った。

 

パリの渋沢は父に金の無心をしていた

 

 様変わりした故国に戻った渋沢が心を痛めたのは、主君・慶喜の状況だけではない。

 

 見立て養子としていた渋沢平九郎(へいくろう/岡田健史)の死、いまだ新政府に抵抗を続ける渋沢成一郎(=喜作、高良健吾)の動向などもあり、一介の農民から武士、幕臣へと成り上がり、フランスに留学までしてきたとはいえ、故郷へ錦を飾る、という心境にはなれなかった。

 

 帰省した渋沢にとって最大のショックだったのは、おそらく長七郎の死だっただろう。長七郎は、高崎城の乗っ取りを計画していた渋沢らを決死の覚悟で引き留めた、いわば命の恩人である。

 

 長七郎は、誤って人を斬ってしまったため牢獄に捕らわれていたが、維新後に釈放。しかし、その時には以前とは変わり果てた姿になっていた。4年にわたる牢獄生活で、心身ともに病んでしまったようだ。ドラマの中では単なる病死ということになっているが、どうやら精神に異常をきたしての死去だったらしい。ドラマで描かれた惇忠と同じく、熱い攘夷の志がありながら、何の役に立つこともなく維新を迎えてしまったことに深い悔恨の念があったのかもしれない。

 

 なお、慶喜の側近である原市之進(はら いちのしん/尾上寛之)の死を渋沢が知ったのも、帰国してからまもなくのこの頃のことだったという。原はドラマでは第23回で暗殺されているが、昭武一行の随行員に渋沢を推薦した恩人でもある。「なぜ原まで?」と衝撃を受けたに違いない。

 

 さて、血洗島で家族と再会を果たした渋沢だが、史実によると帰省の三日ほど前に父・市郎右衛門(小林薫)とだけは、一足先に東京で会っている。渋沢が帰省する旨を父に手紙で伝えたところ、わざわざ上京してきたのである。

 

 この時の模様は、渋沢の自著『雨夜譚』に詳細に記されている。それによれば、ドラマの中では渋沢が市郎右衛門に金を返済するシーンが描かれているが、この時、金を渡したのは渋沢ではなく市郎右衛門の方だ。市郎右衛門は、帰国したばかりで金に困っているだろうから、と用意してきたのである。父の心遣いに感激した渋沢は、実は、幕臣の頃から倹約に努めており、フランスにいた頃も給料をうまくやりくりしていたため、多少の蓄えがある。当面は困っていないから、と丁重に辞退している。ちなみに、ドラマの中で渋沢が返済したのは、6年前の出立の際に父が持たせてくれた金だ。

 

 実は、それとは別に、渋沢は父に借金の申し入れをしたことがある。それは、フランス留学中の時のことだ。大政奉還によって幕府がなくなり、今後の送金が見込めなくなるのを見越して、父に金の無心をしていたのである。これはあくまで徳川昭武(=民部公子、板垣李光人)の留学を少しでも長引かせるためのものだった。この申し出に、父は快く承諾の返事を出している。

 

 もっとも、送金される前に帰国することになったわけだが、このエピソードから父子の間で結ばれている絆の強さがうかがえる。

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過去記事

小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)、執筆協力『キッズペディア 歴史館』(小学館/2020)などがある。

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