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【 三国志入門 】荊州の巨大な関羽像が解体・移転! 台座の内部に、何があるのか?


2021年9月初旬、ネットやテレビのニュースを賑わした荊州(けいしゅう)の巨大・関羽(かんう)像。報じられたとおり、像の解体・移転が決まったが、その内部(像の下にある展示施設)は、どんなふうになっているのか。気になられた方もおられよう。筆者が現地を訪ね、実際に見学したときの様子をお伝えしておきたい。


 

湖北省の荊州市にある、関羽像を実際に訪ねてみた

2016年、荊州に建てられるも解体・移転が決まった巨大関羽像(筆者撮影)

「三国志」の愛読者は、荊州(けいしゅう)という地名を聴いただけで、なにかしらの感情を抱くに違いない。当時、魏・蜀・呉の三国の係争地となった要地。また名将・関羽が統治するも、219年に呉との戦に敗れ、最期を遂げるにいたった地でもあるからだ。

 

 2021年9月初旬、その「荊州」の文字がネット上を騒がせた。「関羽がまた斬首された」などと、物騒なタイトルをつけたニュース記事もあった。それは現在の湖北省荊州市にある「荊州古城」の城壁外、高さ57メートルもの関羽の銅像の解体・移転を報じるものだった。

 

荊州古城の街。関羽が統治していたことで、城壁の内外に関帝廟などの祭祀・観光施設が点在する(筆者撮影)

 違法建築だったという大きさはもちろん、解体・移転の費用が日本円にして50億円ほどもかかるそうだ。スケールが桁違いというほかない。

 

 さて、この超巨大・関羽像は、いつから荊州にあるのか。筆者が2014年に荊州を訪れたときには、まだ完成していなかった。それが完成をみたのが20166月。国有企業の地元の開発団体が、観光客の呼び込みを図るために建てたという。

 

実は「世界最大」ではなかった荊州の関羽像

 

 その場所は「関公義園」という広大な公園。中心部に2階建ての台座をつくり、そこに巨大な関羽像を築き上げた。ギネスに挑戦するため、設計の過程で大きくなっていったとか。しかし、関羽の生まれ故郷、山西省運城市には高さ61メートルの像が先行して2010年に建てられていた。それを超えることは叶わなかったようだ。

 

 個人的には、完成を報じるニュースサイトなどの写真を見て「?」と思っていた。壮大さに感心しつつも、ド派手な金色と独特のデフォルメ感に、親しみをあまり感じなかったのだ。それでも気になる存在ではあり、荊州再訪のさいには見に行くつもりであった。

 

 2019年、5年ぶりに荊州を訪れた。行ってみて驚いたのが、像は3年前に完成していながら、いまだ台座の内部の展示センターは非公開で一般入場が開始されていなかったことだ。「関公義園」を、延々と歩いて像の下にたどり着いても、像を真下から眺めるしかなかったわけである。

 

巨大関羽像の下の廊下とホール。関羽の絵画が延々と展示されている(筆者撮影)

 内部が気になるため、特別に見せていただく機会を得た。さっそく入ってみると、内部をめぐる通路の壁面に、ひたすら関羽、関羽、関羽・・・。雄姿を描いた大きな油絵がいくつも掛かっていた。絵だけでなく、その生涯の名場面を描いたレリーフが、また幾つもあった。ここで従者の周倉などが、やっと姿を見せていた。

 

巨大関羽像の下にある、メインホール。これまた関羽だらけである(筆者撮影)

どこもかしこも「関羽」だらけ

 

 展示センターの中央部、メインホールに出た。真ん中には黄金色に輝く関羽像が金の樹木(金のなる木)の下に建ち、金貨を手にしている。関羽は「商売の神様」として各地に祀られている存在だが、これほど「黄金」や「金」を象徴した場所はないように思える。

 

商売の神・関羽を崇拝して商売繫盛、金銭的成功を願う・・・良くも悪くも富を象徴する姿なのだろう。その中央の関羽像を、また多くの像が取り囲んでいる。それらもみな関羽である。

 

 黄金像の頭上には色が刻々と変化する天井があり、その中央に青空の模様が描かれていた。なんだか「天空の城ラピュタ」で、ロボットが居並んでいた姿を連想してしまった。空に浮かぶラピュタが巨大な樹木で、その根っこに巨大な飛行石。この樹木が動力の機能を持ち、上に載った関羽像が動き出すのではないか・・・そんなことを妄想したりもした。ちなみに、解体・移転は関羽像のみというから、この関公義園の展示センターはここに残されるのだろうか。

 

ホール天井は青になったり、緑になったりと色が変化する。神秘的な雰囲気といえなくもない(筆者撮影)

 全体の印象としては、ただ広いわりに見るものが少なく、スカスカな状態。それも、ひたすら関羽像や関羽の絵ばかり。どうせなら、この荊州を得るために戦った武将たち――劉備や諸葛亮がいてもいいし、魯粛(ろしゅく)や呂蒙(りょもう)などの呉の武将たちも織り交ぜたものにできないのだろうかと思った。関羽は偉大な武将だが、英雄は彼一人ではないのだから。

 

 古城の景観を損ねる違法建築物とみなされ、解体・移転が進められている関羽像。その移転先も、すでに報じられたように荊州市郊外という。具体的にいうと、この像は荊州城の東南に位置しているが、その現在地から北西へ8キロ離れた「点将台」という場所になるそうだ。

 

 そこも一応は観光地のひとつで、関羽が北の樊城(はんじょう)を攻めるときに駐屯し、兵を指揮した場所と伝わる。現在、そこには小ぶりな楼閣が観光向けに再建されているだけ。関羽像の移転先としては、まず良いところに落ち着いたといえよう。

 

 無くなれば寂しいから、移転が決まって喜ばしくも思う。コロナが収束したら「引っ越し」を終えた巨大関羽像の姿を拝みに行きたいものである。

 

(続く)

 

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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