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なぜ孫尚香(孫夫人)は、歴史の闇に消えながら「劉備の愛妻」として復活したのか?

ここからはじめる! 三国志入門 第35回


前回は劉備の妻、とくに甘夫人(かんふじん)と麋夫人(びふじん)の両名を紹介した。今回は、4人の正室のひとりで様々な「三国志」作品にもよく登場する、孫(そん)夫人について紹介したいと思う。


 

「男勝りで武装好き」史実の設定が、そのまま生かされる

孫夫人(孫尚香)を象った中国の剪紙

 

 映画『新解釈・三国志』では出番がなかったが、『レッドクリフ』や、ゲーム「真・三國無双」などの創作作品では「孫尚香」(そんしょうこう)という名の女性が活躍する。このひとは、れっきとした実在の人物だ。「赤壁(せきへき)の戦い」(208年)のあと、劉備に嫁いだ孫夫人(孫権の妹)がモデルとなっている。

 

 孫尚香とは、後世に京劇で使われるようになった名前なのだが、女性らしく響きも良いからか、好んで使われる傾向にある。また彼女自身も「男勝りで武装好き」という歴史上での設定があるだけに、映画やゲームにも生かしやすい。女性がほとんど出てこない三国志の世界においては、創り手にとって有難い存在のようである。本項も「孫尚香」で進めたい。

 

 歴史的にみれば、孫尚香はよくある政略結婚の道具にすぎなかった。正史を見回しても『先主伝』『趙雲別伝』『法正伝』に彼女の記述が少しずつある程度だが、それがなかなかに目を引く内容だ。

 

 才気・剛勇において兄たち(孫策・孫権)の面影があり、孫権の妹であることを鼻にかけていて、傲慢で軍律を守らなかった。あまりの我がままぶりに困った劉備は、趙雲(ちょううん)を監視役につけたという。実はこのころ、劉備の愛妾・甘夫人が亡くなったばかりで、奥向きには彼女を抑える人がいなかったのだろう。

 

 当然、夫婦関係も最悪だ。劉備はそのころ50歳ぐらい。孫権が劉備より21歳年下だから、妹の尚香は20代~10代後半。年齢差だけならまだ良いが、彼女は100人ほど連れてきた侍女たちに武装させていた。

 

 劉備は奥に入るとき「いつも心底から恐怖を覚え、びくびくした」とあるのだ。「いつも」とある以上、何度か機嫌をとろうとしたのだろうが、尚香が心までをも許したかどうか。

 

「東方では孫権に圧迫され、近くでは孫夫人が変事を起こさぬかと心配しておられた」という、諸葛亮(しょかつりょう)の台詞からも緊迫した夫婦関係が窺いしれよう。

 

 劉備は恐妻家を通り越して本当に身の危険を感じたのだろう。子どもができないどころか、しまいに尚香は甘夫人の遺児・劉禅を呉へ連れ帰ろうとまでした。劉禅だけは趙雲らに連れ戻されたが、尚香はそのまま帰国してしまった。

 

 そのとき蜀へ向かっていた劉備が、尚香が国へ帰ったと聞いて何か言ったとの記録もない。「あ、そう・・・」とばかり、いつもの家族に対する冷淡な態度で済ませたのではなかろうか。

 

 こんな有様だったから、蜀の歴史家や陳寿(ちんじゅ)も、尚香を「劉備夫人」と認めなかった。だから列伝にも彼女を入れずに法正のエピソードで、ちょっと触れるだけに留めたようだ。

 

 帰国後の消息も不明だ。評判が散々だったからか、彼女は「歴史の闇に消えた」あるいは「消された」ような存在であった。

 

「三国志演義」では、愛妻としてよみがえる

 

 だが、三国時代から約1000年後に成立した『三国志演義』では、孫尚香の扱いが格段に上がる。政略結婚の道具にされるのは同じだが、史実では冷めていたはずの夫婦仲は良好なものに描かれる。

 

 呉に帰るのは生母の危篤という知らせを受けてのためで、孫権の陰謀で夫婦仲を無理やり裂かれたことになっている。「演義」で聖人化・正義化した劉備に対し、孫権は悪役なので、劉備に忠実であろうとした女性像としてちょうど良かったのだろう。

 

 さらに『三国志演義』の定番本(毛宗崗本)では、その最期までもが追加されるに至った。

 

「このとき、孫夫人は呉にあったが、劉備が戦死したという噂を信じ、長江の流れに身を投げて死んだ。」(第84回)

 

 夷陵の戦い(222年)に敗れた劉備が死んだ、という誤報を真に受けて「殉死」するのである。物語では脇役に過ぎないが、劉備という忠義の人に殉じたという点で、女性の登場人物としては破格ともいえる扱いを受けるにいたったのである。

 

(続く)

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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