老将・黄忠も青二才。90歳超えも多数! 三国時代で最も長生きした人は?
ここからはじめる! 三国志入門 第32回
老いては、ますます盛ん――。その言葉どおり「三国志」には、かなり歳をとってからも活躍する人々が数多く登場する。一般には黄忠(こうちゅう)がその代表格で、中国において黄忠は「長寿」の代名詞にもなっているという。だが、その黄忠も真っ青になりそうな長生きの人が「三国志」には相当数、見られるのだ。
60代や70代で現役は当たり前だった?

四川省成都の武侯祠(ぶこうし)に祀られている黄忠の塑像
年を取っても元気な様子をあらわす「矍鑠」(かくしゃく)という言葉がある。これは三国志の時代より200年ほど前、1世紀の中国は後漢時代のはじめ、馬援(ばえん)という将軍が語源である。
60歳を過ぎて馬にまたがり、反乱軍の討伐を願い出た彼を、光武帝(こうぶてい)は「矍鑠たるかな、此の翁や」と称えた。また常日頃から馬援は「老当益壮」(老いては、まさに益々盛んなるべし)と言っていたそうだ。
『三国志演義』の世界で、もっともそれに当てはまる武将が黄忠(こうちゅう)であろう。60歳を過ぎて関羽(かんう)と互角に戦う武勇で、蜀の五虎大将軍のひとりに名を連ねる。ただし、これは「演義」の話。正史に彼の年齢は記されない。『蜀志』(費詩伝)で、関羽が黄忠を「老兵」呼ばわりする記述から推し量れるのみだ。
唐の詩人、杜甫(とほ)が「人生七十古来稀(まれ)なり」と詠んだように、70年生きる人は稀であるとして古希(こき)といわれた。劉備は63歳、曹操は66歳で亡くなったが、孫権71歳、司馬懿(しばい)73歳、顧雍(こよう)76歳、賈詡(かく)77歳などは、まさに古希だった。『三国志』の登場人物の平均寿命は大体60歳弱というから、かなりの長寿である。
90歳、100歳超えの恐るべき長寿の人たち
だが、上には上がいる。程昱(ていいく)80歳、張昭(ちょうしょう)81歳も凄いが、さらに上を見れば、魏の政治家・高柔(こうじゅう)90歳、交州の豪族・士燮(ししょう)90歳がいる。その上が司馬懿の弟・司馬孚(しばふ)93歳、呉将の呂岱(りょたい)96歳、蜀の来敏(らいびん)97歳がいる。
ここまで名前を挙げたなかで特筆すべきは、呂岱(161~256年)だろう。彼は20歳下の主君・孫権(71歳)の最期を看取ったときは90歳を過ぎており、それから5年間も生きたわけだ。ほか、変わったところでは、董卓(とうたく)が殺されたとき、彼の母が90歳だった。そのとき処刑されなければ、もっと長生きしたかもしれない。
明確に数字で記される最高齢としては、曹操や曹丕(そうひ)の招聘を断り続けた在野の学者で105歳まで生きた張臶(ちょうせん)がいる。また、医師の華佗(かだ)は実年齢不明ながら「100歳近くになっても見たところは若々しかった」とある。彼の弟子であった呉普(ごふ)は90歳以上、樊阿(はんあ)は100歳以上まで生きたと記されるが、ありえぬ数字でないだけに信ぴょう性がある。
昔は「人間五十年」といわれたが、それは戦場での死や、当時の医療技術で治せない難病を患った場合の話。実際には現代と同じように長命する人も、意外に多く存在した。移り行く世の流れを自分の目で長く見ることができるのは、彼らのような長寿に恵まれた人の特権といえよう。
【次回へ続く】