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「一家殺し」で極悪人にされたはずの曹操は、なぜ愛されるのか?

ここからはじめる! 三国志入門 第26回

恩人を殺めても反省しない「奸雄」曹操

 

 董卓(とうたく)暗殺に失敗し、おたずね者となった曹操。洛陽から逃走する途中、知人の家に身を寄せる。知人とは、呂伯奢(りょはくしゃ)という父の義兄弟であった。

 

 夜になり、台所から刀をとぐ音や、ヒソヒソ声が聞こえてきた。曹操らはその家族たちが自分たちを殺そうとしていると考え、躍り出て8人をたちまち殺した。だが、よく見れば家族は曹操たちをもてなすため、ご馳走の準備をしていたのだと知る。誤殺だった。

 

 曹操らは逃げたが、そこへ酒を買いに外出していた呂伯奢が戻ってきた。面倒なことになると思った曹操は、その場で呂伯奢をも殺した。同行者の陳宮(ちんきゅう)は、そんな曹操を厳しく非難する。しかし彼は悪びれず「わしが天下の人に背こうとも、天下の人がわしに背くことは許さん」と、言い放った――。

曹操画/安徽省亳州市にて著者撮影

 曹操が「乱世の奸雄(かんゆう)」ぶりを最初に示すのが、西暦189年に起きたこの「呂伯奢一家殺害事件」であろう。このエピソードは『三国志演義』のもので、正史『三国志』の本文にはない。しかしながら、正史に付せられた注釈には出てくる。裴松之(はいしょうし)は同時代および後世に書かれた3つの史料からこのエピソードを見つけ、抜き出して紹介したのだ。

 


 

『魏書』(三国時代・王沈(おうしん)作)

呂伯奢の家族や食客たちが曹操を脅しにかかり、馬と持ち物を奪おうとしたので「曹操は刀で数人を撃ち殺した」とする。つまり正当防衛だった。

 


 

『魏晋世語』(西晋時代・郭頒(かくはん)作)

「曹操は自分が捕まるという疑いを抱き、家族ら8人を殺害した」と記す。数人から8人へと人数が倍増している。

 


 

『異同雑語』(東晋時代・孫盛(そんせい)作)

曹操は食器の音を聴きつけ、家族が自分を始末すると「思いこみ」、彼らを殺害したと記す。その後、悲痛な思いで「寧(むし)ろ我れ人に負(そむ)くも、人をして我れに負くこと毋(な)からしめん」(寧我負人,毋人負我!)と言ったとしている。

 


 

 曹操が呂伯奢の家族を殺害した事実は3書に共通するが、正当防衛が「思い込み」になり、大言壮語を吐いて蛮行を正当化するという展開に変わっている。時代を経るごとに曹操が「悪人化」されていった形跡がある。

 

「呂伯奢一家殺害」は真実か否か?!

 

 この家族殺害の逸話は『魏書』が初出のようだが、この件で曹操を悪く貶(おとし)めたと見いだせるのは孫盛(そんせい)の『異同雑語』である。孫盛には話を「盛る」癖があり、彼が創作したといわれる台詞もかなり多い。その顕著な例が上記の曹操の台詞だ。裴松之もそれは承知して引用していたが、この件について何ら言及していない。

 

 信ぴょう性が薄いため、3書を順番に挙げて曹操の評価の変遷を示したのかもしれない。

 

 ただ、後世の『三国志演義』は劉備を善玉にした物語だから、この曹操の「悪事」に飛びつかないわけがない。上記3書では殺していないはずの呂伯奢本人をも殺害し、陳宮という同行者にその所業を呆れさせるなど、その悪辣ぶりが強調される。

 

 吉川英治『三国志』では「はははは。・・・してしまったものは是非もない。戦場に立てば何千何万の生霊を、一日で葬ることさえあるじゃないか。また、わが身だって、いつそうされるか知れないのだ」と、まったく悪びれない。

 

 単なる「悪役」を通り越し「乱世の奸雄」らしいスケール感。現代では、逆にそのあたりが曹操の魅力と捉える人も少なくない。

 

 曹操を徹底的な悪者にしたかった「演義」の作者、羅貫中(らかんちゅう)や毛宗崗(もうそうこう)の思惑は、外れてしまったのかもしれない。

 

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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