1宿場に150人…いや、その倍はいた「飯盛女」は和歌になるほど人気者【後編】
江戸の性職業 #037
■『四谷新宿馬糞のなかに、あやめ(内藤新宿の飯盛女)咲くとはしほらしや』

図1『絵本時世粧』(歌川豊国、享和2年) 国会図書館蔵
図1は、内藤新宿の女郎屋(飯盛女を置いた旅籠屋・はたごや)が描かれている。
午前中の光景であろう。明るい場所に鏡台を置き、飯盛女が化粧をしている。
建前はあくまで旅籠屋なのだが、女郎屋と変わらないのがわかろう。
内藤新宿は道中奉行より、宿場全体で百五十人まで飯盛女を置くことを許されていた。しかし、実際には倍以上いるのは、これまた常識だった。
揚代は、昼は六百文、夜は四百文が主流だったが、銀二朱の高級な飯盛女もいた。

図2『大通契語』(笹浦鈴成著、寛政12年) 国会図書館蔵
図2に、飯盛女と客の男が描かれている。男は帰り支度をしているようだ。
品川や内藤新宿は、他の宿場とくらべると、格が高かったといえよう。
ただし、おたがいにライバル視していたようだ。
『譚嚢』(安永6年)に、次のような笑い話がある。
新宿の女郎、品川の女郎をそしって曰(いわ)く、
「品川の女郎衆は総体、下卑さ。あれは船頭に付き合うからだのう、馬子どの」
女郎は飯盛女のこと。
品川の飯盛女は船頭の相手をするから下品になるというのだが、そう言う内藤新宿の飯盛女である自分は、馬方の相手をしている。
海のそばの品川と、水路にめぐまれない内藤新宿の地理的条件もわかる笑い話である。
甲州街道では物資の運搬にもっぱら馬が用いられたため、内藤新宿には馬方が多かったのだ。
「四谷新宿馬糞(まぐそ)のなかに、あやめ咲くとはしほらしや」
は、潮来節(いたこぶし)の、
「潮来出島のまこもの中で、あやめ咲くとはしほらしや」
をもじった替え歌である。
馬糞の中に咲くあやめとは、内藤新宿の飯盛女をさしていた。
馬鹿にしているかのようだが、歌にまでなったのは、やはりセックスワーカーとして人気があった証拠であろう。
[『歴史人』電子版]
歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.4
永井義男著 「江戸の遊郭」
現代でも地名として残る吉原を中心に、江戸時代の性風俗を紹介。町のラブホテルとして機能した「出合茶屋」や、非合法の風俗として人気を集めた「岡場所」などを現代に換算した料金相場とともに解説する。