歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第98回~渋沢喜作~
強い野心とリーダーシップで日本経済の黎明期に貢献
悪知恵が働き、策略が抜群! 政治家の参謀タイプ

鳥羽・伏見の戦いの際に、渋沢が結成した彰義隊の墓(東京・上野区)
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
今回は、大河ドラマ「青天を衝け」で、高良健吾さんが演じる渋沢栄一の従兄、渋沢喜作(成一郎)を四柱推命で鑑定する。鑑定の結果、栄一を凌駕する、強靭なパワーの持ち主であったことが明らかになった。
渋沢喜作(成一郎)
生年月日: 1838年7月30日(天保9年6月10日)

渋沢喜作:天保9年6月10日生まれの命式表
喜作の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと、自立心70%、行動力30%で、知性、人脈、遊び心はともに0%という結果になった。

渋沢喜作:天保9年6月10日生まれの性格
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。
これらを材料に、喜作の性格を読み解いていく。
〇自立心70%! スケールとエネルギーは最強!
「劫財(ごうざい)」と「比肩(ひけん)」が、通変星で自立心の星にあたる。自立心の星は、自分の信じた道を突き進み、リーダーシップを持っているが、中でも「劫財(ごうざい)」は、大企業の社長タイプ。組織をまとめることが得意で、欲しいものはどんな手を使っても手に入れたい!という強い星。「比肩(ひけん)」は、一匹狼で職人気質。頑固で負けず嫌い、マイペースであり、強い自立心を持っている。喜作は、劫財を2つ、比肩を2つ持っており、自分を強く持っていたと考えられる。
☆「八相局(はっそうきょく)」を持っている!
八相局とは、通変星の中に同じグループの星を4つ以上持っている人のこと。「比肩(ひけん)」と「劫財(ごうざい)」は同じ自立心の星であるが、これらを合わせて4つ持っているため、喜作は八相局となる。
八相局は、とにかくスケールが大きくエネルギーが強い。人間は悪くないが、悪知恵が働き法律すれすれのことをやる、いわゆる政治家の参謀タイプである。これまで鑑定した歴史上の人物では、オスマントルコの最盛期をけん引したスレイマン1世や、井伊直弼の参謀・長野主膳(しゅぜん)、武将では徳川家康の長男・松平信康や井伊直政がこの八相局を持っていた。爆発的なエネルギーと悪知恵が働くニュアンスがイメージできるだろうか。
喜作の場合、自立心の星を4つ持ち合わせていることから、八相局の中でも最もスケールの大きい、劫局(ごうきょく)となる。悪知恵、策略が抜群のため、政治の世界では裏側で成功。人付き合いが上手で社交性は見事、海外で成功するタイプ。この国では収まりきらない自立心を持っているといったところだろうか? 八相局の中でも劫局はなかなかお目にかかれない。
先に挙げた八相局の中で、劫局なのは、スレイマン1世、松平信康だ。筆者もこれまで約2000人を鑑定してきたが、いまだ数名にしか出会っていない。そのほとんどが海外に太いパイプを持ち、各界の裏側で活躍していた。喜作はそれほどの器を持つということだ。
そんな強靭なエネルギーを持つ喜作だが、それゆえお金の使い方も豪快だったようだ。栄一の後を追うように大蔵省を辞し実業家になった喜作だが、コツコツ稼ぐというよりも一発逆転を狙う、ギャンブラーのような気質があったのだとか。当時、米相場という米を対象にした株取引のような仕組みがあったが、喜作はこれにすっかりハマってしまい、当時で10万円(現在の資産価値では4億円ともいわれる)ほどの借金を背負ったこともあるという。なお、この借金は栄一が面倒を見てくれたそうだ。
そんな一面もあるが、喜作は栄一とともに多くの企業設立にかかわった。澁澤倉庫、東京商法会議所、東京人造肥料会社、北海道麻株式会社…等々。澁澤倉庫は現在も「渋沢」の名を冠している。
以前、栄一を四柱推命で鑑定したことがあるが、知性、行動力、人脈、自立心、遊び心の5つの星全てを持つバランス人間だった。栄一のバランス感覚のよさに喜作の強靭なエネルギーが加わることで、事業をうまく軌道に乗せることができたのだろう(渋沢栄一のバックナンバーはこちらをご覧ください 歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第72回 ~ 渋沢栄一 ~)。
〇行動力30%!
命式表に「偏官(へんかん)」を持っている。行動力の星であり、頭で考えるよりも先に行動に移すエネルギッシュさを持つ。中でも、偏官は攻撃的、野性的な性格だ。
喜作は栄一とともに、従兄・尾高惇忠(あつただ)から学ぶが、惇忠は国の将来を憂い、幕府の開港を痛烈に非難してそれを説いた。喜作も惇忠、栄一とともに、攘夷計画を密儀し、高崎城を乗っ取った上で、一挙に横浜を焼き討ちして、外国人を片っ端から切り殺してしまうという戦略を立てた。結局、惇忠の弟・長七郎の説得によりとん挫するも、それほど強い攻撃力を持っていたと言えるだろう。
鳥羽伏見の戦いを経て徳川慶喜が江戸にもどると、喜作はこれを警護すべく、彰義隊(しょうぎたい)を創設し、隊長を務めた。しかし、副隊長・天野八郎との衝突をきっかけに脱退し、新たに「振武軍(しんぶぐん)」を結成。しかし新政府軍からの猛攻を受け、隊が散り散りになると、今度は残党を集めて「新彰義隊」を結成。榎本武明(えのもとたけあき)の艦隊に合流し、最終局面の函館戦争まで戦った。そのため、一時投獄されている。1872年に戊辰戦争の罪を許され、栄一のいる大蔵省に勤めることになるが、この血気盛んさは、行動力の所以だろうか?
今回、喜作を四柱推命で鑑定してきたが、渋沢栄一を凌駕するどころか、スレイマン1世に匹敵するエネルギッシュな性格の持ち主だった。喜作は、余生を白金台(現八芳園)で過ごし、大正元年(1912年)8月30日に75歳で亡くなったが、その喜作の葬儀において、栄一は「(喜作とは)一身分体だった」と弔辞で読みあげたという。栄一のバランス感覚と喜作のエネルギッシュさ、その両方があったからこそ、日本の資本主義が成ったと言えるだろうか。今後も二人の関係性に注目していきたい。

渋沢喜作が余生を過ごしたという、八芳園の庭(著者撮影)
【参考文献】
・「渋沢喜作とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」歴史の人物.com HP https://colorfl.net/shibusawakisaku-matome/ (2021年4月15日最終アクセス)
・「実直一筋の名脇役――渋沢喜作を語らずして「渋沢栄一」を語ってはいけない【青天を衝け 序説】」 小川裕夫 URBAN LIFE METRO HP https://urbanlife.tokyo/ (2021年4月15日最終アクセス)
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。