歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第95回~徳川斉昭~
人並み外れたエネルギーにあふれたお殿様の素顔
徳川家慶と井伊直弼に睨まれたのは最強の干支「癸亥」によるものだった⁉

日本遺産にも指定されている水戸藩の藩校「弘道館」は徳川斉昭によって創設。校内には斉昭の石像が建てられている。
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
今回は、大河ドラマ「青天を衝け」で、すでに個性的なキャラクターが話題となっている、竹中直人さん演じる水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)を四柱推命で鑑定する。鑑定の結果、超エネルギッシュで殿様気質、おおらかでおしゃべり好きな人となりが見えてきた。
徳川斉昭
生年月日: 寛政12年3月11日(グレゴリオ暦:西暦1800年4月4日)

徳川斉昭: 寛政12年3月11日生まれの命式表
斉昭の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと、遊び心30%、自立心30%、攻撃力20%、知性20%という結果になった。

徳川斉昭: 寛政12年3月11日生まれの性格
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。
これらを材料に、斉昭の性格を読み解いていく。
○超エネルギッシュ!「癸亥」の持ち主!
日柱の干支に「癸亥(みずのとい)」を持つ斉昭。「癸亥」は、60個ある干支のうち、一番最後の60番目で、最強の干支とも言われ、これを日柱に持つ人は、人並外れたエネルギーを持つ。日柱に「癸亥」を持っている有名人は、明石家さんま、タモリ、桑田佳祐、錦織圭、内村航平…と各界の著名人が並ぶ。
こんな、エネルギッシュなイメージは、大河ドラマで竹中直人が演じる斉昭のイメージと被るだろうか。斉昭は、いかなる場面でも自説を曲げず、攘夷論(じょういろん)を貫いた。
斉昭が藩主になると、那珂湊(なかみなと)に砲台を築き、大砲を鋳造して設置。大規模な軍事教練を毎年のように行った。その結果、天保15(1844)年5月、当時の将軍・徳川家慶(いえよし)から睨まれ、強制的に隠居させられる。
しかし、その9年後、ペリーが東京湾に入港すると、老中の阿部正弘から乞われ、海防参与に抜擢された。大砲74門を幕府に献上し、水戸藩領から江戸に次々と運び入れた。しかし、将軍継承問題で、大老・井伊直弼に睨まれ、安政5(1858)年にふたたび謹慎となった。
「出る杭は打たれる」と言われる日本の風潮をものともせず、自分の主張を押し通そうとするのは、「癸亥」の賜物だろうか。
〇根っからのお殿様!
命式表に、「劫財(ごうざい)」と「帝旺(ていおう)」を持っているが、この組み合わせは「組織の王様」を意味する。大企業の社長や政治家によくみられる組み合わせだ。斉昭は、人の上に立つべくして生まれていたといえる。
斉昭は、第3代水戸藩主・徳川治紀(はるとし)の三男として小石川の水戸藩邸に生まれた。三男ともなると、なかなか藩主の座に就くのは難しい。治紀には5人の男子がおり、長男の徳川斉脩(なりのぶ)は8代藩主、次男と四男は養子に出され、五男は早世。斉昭はひとり、部屋住みとして水戸藩内にとどめ置かれていた。
しかし、斉脩に男子がいないので、11代将軍・徳川家斉(いえなり)の二十一男の徳川恒之丞(のちの紀伊徳川斉彊・なりかつ)を養子に迎えて藩主にしようというプランが浮上する。徳川家斉は55人の子がいることで知られるが、この子ども達をどこに養子に送るかが問題になっていた。一方、当時水戸藩は多額の借金に苦しめられており、養子を迎えることで幕府から多くの助成金を引き出そうと、一部の藩士が養子縁組みを画策したのだ。
結局、斉脩が斉昭を次期藩主とする遺言を残していたため、斉昭が第9代藩主となったが、すったもんだあっても、斉昭に藩主の座が回ってきた。藩主は天命だったのだろうか。
〇おおらかで言ったことは信用される!
命式表に、「食神(しょくじん)」と「長生(ちょうせい)」を持っているが、この組み合わせは話すことが得意。セミナー講師や営業職に向いている。
斉昭はただのがんこおやじでもなかったらしい。斉昭は、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)や宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)といった諸大名との意見交換を積極的に行った。斉彬は斉昭の9歳年下、宗城は18歳年下だったそうだが、彼らは先駆者の斉昭に意見を請うた。2人は「幕末の四賢候(しけんこう)」とも称されるが、斉昭がかなりの影響を与えたのだろう。
〇攻撃的!
命式表に「偏官(へんかん)」を持っているが、行動力の星であり、攻撃的、野性的な星。頭で考えるよりも先に行動に移す。短気。
当時、幕府で将軍後継問題が起こっており、井伊直弼のグループは徳川慶福を推し(南紀派)、徳川斉昭グループは息子である一橋慶喜を推していた(一橋派)。しかし、第14代将軍に慶福が決まると、井伊直弼は大老に就任し、日米修好通商条約を締結した。朝廷を無視したやり方に怒った斉昭は江戸城に乗り込むが、無断登城のかどで謹慎を命じられる。思い立ったらどうしても行動せずにはいられない性格だったのだろう。
〇学問が好き!頭がいい!
斉昭は命式表に「印綬(いんじゅ)」を2つ持っている。「印綬」は幅広い知識を持ち、学校の勉強がよくできるタイプ。斉昭は命式表に2つ持っていることから、この性格が強まっていたと考えられる。
斉昭は30歳で藩主となると、当時最大規模を誇った藩校、弘道館を設立した。自らの経験から学問の重要性を感じていたのだろう。「学問は一生行うもの」として、弘道館には「卒業」という制度がなかったという。最近はやりの「生涯学習」の概念が100年以上前から水戸藩にはあったのだ。
四柱推命鑑定の結果、エネルギッシュで根っからのお殿様気質、攻撃的であることが明らかになった。まさに竹中直人さん演じる斉昭のイメージだ。さらに、斉昭のイメージとして、頑固でわがまま、変人という印象も受けるが、このあたりは四柱推命的に読み取れなかったことから、斉昭の思いとエネルギーが強すぎて、頭が良すぎたため、凡人には理解できず、頑固、変人として後に語り継いだのだろう。
斉昭を尊王攘夷に傾けた水戸学が、自らの息子・徳川慶喜の幕府を倒したことを考えると、歴史と言うものはなんとも皮肉である。今後、渋沢栄一が倒幕、明治維新にどうかかわっていくのか、大河ドラマの展開が楽しみだ。

徳川斉昭によって造園された庭園「偕楽園」。日本三大名園のひとつとして、人気を博している。
【参考文献】
・「一城一話55の物語」 松平定知 講談社ビーシー (2020)
・「シリーズ藩物語 水戸藩」 岡村青 現代書館 (2012)
・日本初の歴史戦国ポータルサイトBUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) 長月七紀
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2021/02/16/71632/3 (2021年3月3日最終アクセス)
・竹中直人演じるガンコ親父・徳川斉昭…ギリギリで水戸藩主になれた男の大喧嘩と不遇の最期 Business Journal 菊地浩之 https://biz-journal.jp/2021/02/post_208911.html (2021年3月3日最終アクセス)
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。