歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第90回~筒井順慶~
魅力にあふれ周囲から愛されたアイデアマン
的確な行動力、したたかな手腕を兼備する一方、決断力・リーダーシップにやや難あり

天正12年(1584)に36歳の若さで亡くなった順慶は、円証寺(えんしょうじ)に葬られたあと、現在の奈良県大和郡山市にある墓所に移された。墓所は筒井順慶歴史公園内にあり、建物内には順慶を供養する五輪塔や石燈篭が残されている。
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
今回は、大河ドラマ「麒麟がくる」で一躍有名になりつつある、梟雄(きょうゆう)・松永久秀(ひさひで)を滅ぼした豪族、筒井順慶(つつい じゅんけい)を四柱推命鑑定する。
筒井順慶
生年月日:天文18年3月3日(グレゴリオ暦:1549年4月10日)

筒井順慶:天文18年3月3日生まれの命式表
順慶の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと、知性40%、遊び心30%、行動力30%となった。人脈と自立心は持っていなかった。

筒井順慶:天文18年3月3日生まれの性格
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。
これらを材料に、順慶の性格を読み解いていく。
○占い師向き!占いのカリスマ!
命式表に「偏印(へんいん)」+「病(びょう)」があるが、通変星に「偏印」、十二運星に「病」を縦に組み合わせて持っていると、占いのカリスマの意味を持つ。順慶は、これを命式表に2つ持っている。現代であれば、四柱推命鑑定師にスカウトしたいところだ。それだけ客観的にものを見て、人に影響力を与えられる人物だったということだろう。代々、興福寺の宗徒の家系に生まれた順慶。まさに僧侶がぴったりの職業だったのかもしれない。
○遊ぶの大好き!子どもっぽい性格!
通変星の中で一番大事な場所は、月柱(げっちゅう)の蔵干通変星(ぞうかんつうへんせい)で、主星(しゅせい)というが、順慶はこの場所に「食神(しょくじん)」を持っている。食神は遊び心の星で、子どもっぽくおおらかで、おしゃべりをしたりカラオケをしたりして遊ぶのが大好きな星。それを主星に持っている順慶は、楽しいことでなければやりたくない!という子どものような考えを持っていたことだろう。
文化人、教養人としても知られる順慶であるが、茶湯、謡曲、歌道など文化面に秀でており、その点でも光秀とも交友があったと聞く。これらの教養も遊びとして、自身の楽しみとしてとらえていたのだろう。
○目上の人から引き立てを受ける!
順慶は、十二運星に「養(よう)」を持っている。十二運星は輪廻転生(りんねてんせい)を表すが、「養」は赤子の意味を持つ星。もし今1、2歳の子どもが同じ部屋にいたらどうだろう。私たちは理屈抜きにめちゃめちゃにかわいがるだろう。「養」はそんな1、2歳の幼児になった感覚だ。「養」を持っている人は、ただそこにいるだけで、目上の人から引き立てられ、プラスになることをたくさんやってもらえる。順慶はそのように、周りからかわいがられる存在だったのだろう。
筒井家は代々、興福寺の衆徒だったが、父・順昭(じゅんしょう)はその束縛を逃れ大和で勢力を広げていた。しかし、そんな順昭も志半ばにして27歳で亡くなる。当時わずか満1歳だった順慶だが、叔父や御家来衆に支えられてきた。順慶がまだ幼少の折、宿敵・松永久秀は大和に侵入した。筒井家を離れた豪族もいたが、大方が筒井家に残っている。また、ことわざ「元の木阿弥(もとのもくあみ)」は、まだ幼い順慶を守ろうとしたところから来ている。順昭の死を隠すために木阿弥という一介の僧侶を順昭の身代わりに立てた。しかし、順慶が成長すると、身代わりとしての役割が必要なくなり、元の木阿弥に戻ったという意味だという。
ことわざになってしまうほど、順慶は目上の人からかわいがられる存在だったのだろう。
○仕事人間!
順慶は命式表に「正官(せいかん)」と「偏官(へんかん)」を持っている。これらは上の円グラフでいう、行動力にあたり、仕事の星である。簡単に違いを言うと、言われたことをしっかりできるのが「正官」、足で稼ぎガツガツ動きまわるのが「偏官」だ。いずれの星も持っていた順慶は、人の指示にも的確に従うし、頼まれたこと以上のことをこなす万能仕事人間だったと予想される。これこそ、織田信長に気に入られた要因だろう。
○アイディアマン!
順慶は命式表に「偏印(へんいん)」を2つ持っている。偏印は、ひらめきがあり企画力があるアイディアマンの意味を持つ。
順慶と松永久秀の攻防は18年にも及んだ。その久秀を滅ぼすことができたのも、アイディアの賜物だろう。順慶は、久秀と対立する三好三人衆と手を組むなど、したたかな手腕を見せ、果敢に戦いを挑み続けた。
中でも風向きを変えたのは、足利義昭(よしあき)との接近だろう。順慶は、義昭の養女で九条家の娘を娶(めと)った。中坊、箸尾など大和国の有力国衆が順慶になびき、松永方から離反し始めた。辰市(たついち)合戦に勝利し、かつての本拠、筒井城を再奪還した。
○大名というよりはベンチャー企業のサラリーマンタイプ!
全体を通して見ると、順慶は自立心の星を持っておらず、リーダーシップに欠けていた可能性がある。さらに、運勢エネルギーを見ると、一般的に平均15であるところ、順慶は14とほぼ平均であり、エネルギーの強い星を持っていない。大名というよりは、誰かトップに付き従うタイプだ。それも、変化を好む星を多く持っているため、安定的な公務員や大企業よりは、ベンチャー企業のサラリーマンに向いている。戦国時代を上手に生き抜いた順慶だが、その進む道は、もとは順慶の父・昭慶が築いたものだったのだろうか。
明智光秀とも交友があった順慶。本能寺の変の後、光秀は順慶が味方に付いてくれるものと思っていた。本能寺の変の折、順慶は郡山の居城におり、光秀から誘いを受けた。順慶は悩み、悩み、悩み続けた…。光秀に援軍を送ったり、呼び戻したり…その悩みは山崎の合戦が終わるまで続いたという。「洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込む」ということわざは、虚構に過ぎないが、決断力とリーダーシップに欠ける順慶が日和見(ひよりみ)をしたというのは恐らく本当だろう。
今回の鑑定について、筒井家のご子孫で、声優の筒井絵理奈さんからコメントを頂いた。
「四柱推命を通してご先祖様の性格や人生を想像できるのは、とても面白いですね。キラキラとした瞳で、好きなことに打込みながら、役割を懸命に務める順慶の姿が目に浮かびました。このように読み解いていただくと、より身近に祖先の存在を感じます」
大河ドラマ「麒麟がくる」では、筒井順慶役を駿河太郎(するがたろう)さんが演じている。恐らく、あのように、キリっとして魅力のあるキレ者だったのだろう。今後の光秀との関係を思うと少し複雑であるが、そのあたりの心境の変化も含め、しかと見守っていきたい。
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。