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敗者の大坂の陣 大坂の陣を彩った真田信繁⑯

歴史研究最前線!#050

疑問が残る!? 九度山からの脱出伝説

大阪市平野区にある、真田幸村(信繁)休憩所跡。大坂夏の陣の際に、南河内誉田方面において徳川方の伊達正宗軍と一戦を交えた後、大坂城へ帰城する途中この地にて休憩したという。休息所跡には写真の自然石が建てられ、幸村の句が刻まれている。

 前回の続きである。

 

 もう一つ信繁の脱出にまつわるエピソードを紹介しておこう。

 

 信繁が秀頼の招きに応じて九度山を脱出するとき、以前から山中の抜け道、脇道に目印を付けておいたので、それを頼りにして早々に立ち退いた(『幸村君伝記』)。 その後、徳川方の討手(うって)が大勢押しかけ、信繁の屋敷を隙間なく囲んだ。しかし、そこに信繁の姿はなく、人気のない部屋に木枯しの音だけが吹いていたという。むろん、単なる逸話にすぎない。

 

 こうして信繁は、うまい具合に九度山を脱出したが、この話にはおもしろい後日談が残っている。

 

 徳川方は信繁を探すため、村の者を呼び集め、どこに行ったのか尋ねた。すると村の者は、「信繁は3日より以前にここを去った」と嘘を言ったといわれている。信繁は日頃から村の者たち親しくしていたので、ついさきほど出発にもかかわらず、村人はかばったというのである。

 

 以上の逸話については、どう考えるべきであろうか。このエピソードについては、あまりに荒唐無稽であり信用することができない。

 

 信繁の脱出方法は、おおむね次のように整理ができる。

 


 

① 日頃から村人と親しく接し、懐柔策を取っていたこと。

② ①に関連して、村人が信繁をがばってくれたこと。

③ 徳川方と豊臣方との争いには、一切関心がないとの態度をとったこと。

 


 

 1つ目の作戦は、村人を集めて酒を飲ませるというものであるが、経済的に困窮していた信繁がそれだけの大金を準備できたとは思えない。つまり、非常に疑わしいとしか考えられないのである。

 

 2つ目の作戦も信繁が監視下にあったのだから、いささか違和感を感じるところである。

 

 3つ目の作戦は、地元に残る「真田の抜け穴」の伝承と関連するが、そんなにうまくいくのか疑問が残る。

 

 信繁が九度山を脱出した方法は、非常に劇的なものである。人々は、とても信繁が普通の方法では脱出できなかったと思ったのだろう。きっと信繁ならば、秘策でもって大坂城に向かったと考えたのかもしれない。

 

 このような信繁の「超人伝説」というべきものは、広く人々に伝わり受け入れられたのである。むろん、繰り返しになるが、まったく信の置けない話である。

 

(続く)

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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