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敗者の大坂の陣 大坂の陣を彩った真田信繁⑭

歴史研究最前線!#048

貧しさと容姿の劣化を酒で紛らわしていた?

大坂冬の陣で徳川家康が本陣とし、大坂夏の陣で真田信繁が陣を構えた茶臼山(大阪府天王寺区茶臼山町)。

 前回の続きである。

 

 信繁は、意外にも酒好きであったことが知られている。

 

 年次未詳6月23日付の信繁の書状(信之の家臣・河原左京宛)によると、信繁は左京に対して自身で用意した壷に焼酎を詰めて欲しいと依頼し、もし手元に無いようだったら、次の機会にぜひお願いしたいと書いている(「河原文書」)。

 

 さらに、焼酎を壷に詰めた際は壷の口をよく閉め、その上に紙を貼って欲しいとし、焼酎がこぼれることを心配している。そして、連絡があり次第取りに行かせるとある。信繁は追伸で重ねて焼酎のことを依頼しており、かなりの酒好きだったようだ。

 

 ところで、信繁の風体はどのような感じだったのだろうか。

 

 大坂の陣の直前、大坂城に入城した信繁は出家して「伝心月叟(でんしんげっそう)」と名乗り、山伏のような姿をしていたという(『武林雑話』)。

 

 書状には「真好白信繁(「真」は真田の略)」と署名が書かれているものもあり、出家したことをうかがわせている。また、別の書状には「左衛門入(「入」は入道の略)」と書かれており、だいたい父の死を前後として、剃髪したと推察される。

 

 通説によると、信繁が出家した時期は、昌幸が病没した翌年の慶長17年(1612)のことと指摘されているが、実名の「信繁」を同時に用いているのは疑問である。

 

 年次未詳2月8日付の信繁書状(姉婿・小山田茂誠宛)の追伸には、年をとったことが悔しくてならないこと、昨年から突然老け込んで思いがけず病人になってしまったこと、すっかり歯が抜けてしまったこと、髭なども黒いところが少なくなり白髪が増えたこと、などが記されている(「岡本文書」)。

 

 このように信繁の日常生活をみると、生活は貧しく容貌もみずぼらしいものとなり、酒で日々の憂(う)さを晴らす姿しか浮かんでこない。通説でいうところの「打倒家康」は、微塵も考えなかったようだ。

 

(続く)

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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