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敗者の大坂の陣 大坂の陣を彩った真田信繁⑫

歴史研究最前線!#046

信繁の提案では受け入れられなかった“昌幸の遺言”

長谷寺(長野県上田市)内にある、昌幸の父である幸隆と正室の恭雲院、そして昌幸の墓所。

 

 前回触れた逸話は、事実なのだろうか。『武将感状記』(『砕玉話』とも)は、戦国時代から江戸時代初期に活躍した武将のエピソード集である。ユニークな話が多数収録されており、歴史小説のネタ本にもなっている。

 

 同書は、正徳6年(1716)に肥前国(ひぜんのくに)平戸藩士・熊沢猪太郎(熊沢淡庵/くまざわたんあん)が執筆した。猪太郎は備前国岡山藩士で、陽明学者・熊沢蕃山(ばんざん)の弟子というが、その経歴を裏付ける史料はなく疑わしいとされている。

 

 同書は大変おもしろいエピソードを紹介しているが、裏付けとなる史料が乏しく、史料的な価値は劣るとされている(史料というよりも、単なる逸話集)。

 

 実は、似たような作戦が『真田記』にも書かれており、昌幸が「私の命が今からあと3年あれば、たやすく天下を取って(豊臣)秀頼公に進上できたのに」と悔しさを滲ませた発言をしている。

 

 ただし、昌幸の作戦は、出陣する場所は桑名(三重県桑名市)になっており、兵力は2万ではなく3千と少ない。ほかのストーリーはほぼ同じである。

 

 昌幸は作戦を信繁に伝えると、途端に胸が苦しくなり、水を飲んだ直後に絶命するという劇的な最期で結ばれている。しかし、昌幸は同じ作戦を信繁が提案すれば、豊臣家の重臣が拒否するとまでは言っていない。

 

 その後、信繁は大坂城に入城し、昌幸の遺言である作戦を進言したが、結局は受け入れられず、最終的に結果は同じことになった。話のポイントは、実戦経験豊富な昌幸の提案ならば受け入れられるが、信繁は実績がないので拒否されるということだ。

 

 ここまで述べた話は、よく知られた逸話であるが、事実として信じてよいのであろうか。その点をもう少し考えてみよう。

 

 そもそも『武将感状記』は信用できず、話は昌幸に死が迫っているという緊迫した状況を設定し、大変ドラマチックで刺激的なものになっている。ただ、これまで述べたとおり、昌幸の晩年はとても「打倒家康」を考えたとは思えず、病と経済的苦境で厳しい状況にあった。したがって、史実とはみなし難いと考えられる。

 

(続く)

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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