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コロナの緊急事態宣言から見えてくる二・二六事件と天皇

歴史を楽しむ「映画の時間」第8回 〜懐かしの名作編〜

「昭和維新」失敗の理由と「戒厳令」。天皇はなぜ動かなかったのか?

c)1973 現代映画社/日本アート・シアター・ギルド

 1月8日、感染拡大が止まない新型コロナウイルス蔓延を抑えるため再び出された「緊急事態宣言」。街を無人にした前回とは打って変わり、往来する人の絶えない光景を前にしたとき、ある映画の一場面が呼び起こされた。

 

 85年前、1936(昭和11)年2月26日に起きた二・二六事件。この事件にかかわったとされた思想家、北一輝(きた・いっき)を描いた『戒厳令』の一場面である。

 

「見なさい、大輝。これが我々の世界だ。大勢の人々がいて、それぞれがそれぞれの正しいと信ずるところに従って行動している。

 

 しかしいいかね、よく見てごらん。ちっとも正しくはない。みんな一人一人がひどくとりとめがないし、そのとりとめのなさに不安を感じて更に一層忙しく動き回っている。

 

 誰でも自分が間違っていることにいくらかは気付いているのだが、どう間違っているのかは知らないのだ」

 

 三國連太郎(みくに・れんたろう)演じる北一輝が、息子を前に語る場面である。

 

クーデターで憲法を停止し、天皇大権が発動された「戒厳令」下で日本改造を行う

 

 街を一望する丘の上に立ち、北はさらにこう続けた。

 

「戒厳令は人々に秩序を与えるのではない。ただ人々の無秩序の中にある秩序を見出すのだ。やがて人々も気づくだろう。自分たちの中にある秩序について。そしておそらく、立ち止まって空を見上げ、そこに布告されている戒厳令を自分たちの内なる秩序が作りあげたということを確かめるために」

 

 この作品で北は、戒厳令が敷かれた世界――さらにはそこにある天皇の姿を想い恍惚とする。

 

 自らが記した『日本改造法案大綱』のなかで、クーデターによって憲法を停止し、天皇大権が発動された戒厳令下で日本の改造を行うという理論を展開した。それがやがて実現する日を夢想し、その聖なる空間に想いを馳せながら丘の上で想いに耽ったのだ。

 

二・二六事件で天皇が動かなかった理由とは何か?

 

 だが戒厳令が敷かれた現実の世界は、北が夢見たものとは違っていた。二・二六事件で天皇は動かなかった。それどころか北は事件にかかわった「チャチな策謀家」として処刑されてしまうのだった――。

 

 戒厳令とは、戦時・事変が起きた際、立法・行政・司法の権限を軍の機関に委ねる、戒厳態勢を敷く法令をいう。

 

 歴史学者の大江志乃夫(おおえ・しのぶ)の言葉を借りると更にわかりやすい。大江は著書『戒厳令』でトランプを用いて説明した。つまり、52枚のトランプはエースを頂点に4種類13枚のカードが順序よく秩序をかたちづくっている。ところがその地位を奪い、秩序を一挙に覆し主導権を奪うカードがある、と。

 

 《憲法を頂点とする一国の法体系を、52枚のカードがかたちづくるこのような秩序の体系になぞらえることができるとすれば、戒厳令とは、まさにこの53枚目のカード、ジョーカーに匹敵する機能をもつ法令であるということができよう》(『戒厳令』より)

 

天皇はジョーカーである「戒厳令」をどう使ったか?

 

 昭和初期の日本を襲った不況と凶作は農村部での娘の身売りや食料困窮といった深刻な問題を引き起こしていたが、政党政治や財閥はその状況を変えることはできなかった。

 

 そのため青年将校たちは故郷を窮状から救おうと「昭和維新」を掲げ、国家改造を目的とする行動を起こす。彼らは1400人の兵士を率いて帝国議会議事堂や首相官邸など永田町一帯を占拠し、斎藤実内相や高橋是清蔵相、鈴木貫太郎侍従長らを死傷させた。

 

 この二・二六事件で、『日本改造法案大綱』が青年将校に理論的影響を与えたといわれる。閣僚らを暗殺し国家中枢を押さえた彼らが最後に求めたもの、それがジョーカーである戒厳令だった。

 

 しかし事件の報に触れた昭和天皇は、青年将校のためではなく、彼らを鎮圧するためにその札(カード)を用いた。2月27日、九段に置かれた戒厳司令部は青年将校と兵士を「叛乱部隊」として鎮圧に動いたのだ。1400人の兵は原隊に「帰る」よう促され、首謀した青年将校は後に死刑や禁錮刑が言い渡された。そして北一輝も「反乱の主動者」として翌年8月、銃殺刑に処された。

 

内なる秩序が作り上げるコロナ後の世界

 

 ところで、緊急事態宣言下の世界についてである。

 

 軍事、強制の色が強い戒厳令と緊急事態宣言はまったく性質が異なる別のものだ。ただ劇中の北の言葉は、未知のウイルスによって停滞する社会で、とりとめもなく動き、不安を感じながら生きる今に届いてならない。

 

 一体、自分たちの内なる秩序が作りあげるコロナ後の世界は、どのような顔付きで我々の前に現れるのだろう。

 

 

 

【DVD映画情報】

DVD『戒厳令』

c)1973 現代映画社/日本アート・シアター・ギルド

監督/吉田喜重 脚本/別役実 製作年/1973年 製作国/日本 配給/

モノクロ・110分

 

価格:DVD 3,080円(税込)

発売・販売元:松竹

 

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隆次郎太郎りゅう じろうたろう

朝ドラ、大河ドラマを好んで観る。印象深い作品は『風と雲と虹と』『北条時宗』『澪つくし』『カーネーション』『半分、青い。』『スカーレット』。和田勉作品の『けものみち』『天城越え』も好きです。趣味は地形を味わいながらの散歩。

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